不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

友達だった人

booth.pm

 Twitterで試し読みが流れてきて気になったので電子版を購入して読んだ。年数は忘れたがそれなりに長くSNSTwitter)をやっている私にも顔を知らない本名を知らない、しかし長い付き合いの相手がいて、中にはそれなりにお互いの事を認知していてやり取りもよくしていて親しいと言っていいかもしれない人もいる。だからこの漫画からそういう人たちの事を思ったのだが、本書を読んだ少し後、相互フォローの方の訃報を聞いた。カルチャー系の編集者で、ごくごくたまにTwitterやインスタグラムで話しかけたりコメントを残したりする間柄だった、わりと趣味嗜好が似ていた、おそらく住んでいるところも近かったようだ。三人の編集者と合同誌を一年に一回出していて、私はそれを欠かさず買っていた。一度だけ店頭でお目にかかり、挨拶をしたがろくな会話はしなかった。いつかまた、そのうちきっと、そう思っていたけれど果たせずに終わってしまった、私は何度同じ過ちを繰り返すのだろう。私はその人の事を友達とはとても言えないのだけれど、知人というには他人行儀すぎて、何と呼べばいいのだろう、やっぱり友達と言っていいのかな。

プピー

 一昨年末あたりにエレクトリック・マイルスをいいなと思うようになってから楽しめるジャズ(というか音楽全般)の幅が広がったように思うのだが、まだフリージャズは手を出したり出さなかったりしている。オーネット・コールマンや後期コルトレーン、あとはアルバート・アイラーを聞いてみているのだが、フリージャズのサックスやトランペットはやたらと高音でプピーと鳴るのは何なのだろう。あれがいいとはどうしても思えない、耳が痛くなる時がある。あれは何だと考えていたところで思い出したのは、デーモン小暮閣下の言葉だ。確か阿川佐和子との対談だったと思うが、「メタルバンドのボーカルは何故あんな高音なのか」と問われて、「音が多くて大きいから声が埋もれないようにしている」と答えていたはず。デスメタルだとテキーラで喉をうがいした直後に歌っているかのような低音ボイスがいるがあれも高音にするのと同じ発想によるものかな。フリージャズのプピーもおそらく同じで、演奏の中に自分の音が埋もれないようにしているのではないか。全部憶測です。フリージャズの本でも読んでみようか、そんな本があるのか、ジャズについての本も少ししか読んだ事ないのに、そもそもまだまだ全然聞いていない、アルバート・アイラーについての本は買ってあるが同じくそれほど聞いていないのでまだ全然読めていない。とにかく使う時間が足りない、音楽にも本にも映画にも。

四月七日、花が満開の花見

 いい天気だと機嫌よく「大洗濯大会です」とカミさんがよく言うので、今日はとりあえずベッドシーツと布団カバーを外して洗って干す。昼飯に駅前まで出て、このあと映画館でもと思ったけれど桜の咲きっぷりがピークで来週末はそこそこ散る、明日明後日雨とも聞いていたので、だったら屋内にいる事はなかろうと来た道を戻り、途中コンビニでアイスなんぞも買って家近所の公園を散歩し、たっぷりと花見。こちらは家族連れが多いので人が多くとも穏やかなものでのんびりと歩く。気持ちよいけど、ちょっと暑いくらいだ。夕飯後、『光る君へ』を見てから、チャンネルそのままでNHKスペシャル坂本龍一 最期の日々」を見る。母のガンと過ごした日々一年ちょっとを思い出したり、ここまで残されて公開される時代なのかと思ったり、同じくガンで亡くなったチバユウスケの事を考えたりした。

四月六日、決起

 姉一家と春の決起集会、一体何を決起するのかはさっぱりわからない、要するにうまいものを喰いに行く口実だ、ともれあれ集会を開く事になり、いつものイタリアンに集合した。甥っ子は明後日から小学五年生になるという、早いものだ、もうカミさんの背丈に追いつきそう、いずれ私も抜くのではないか、すくすくと育て。ゆっくりたっぷりとうまいものを食べ終えたら、義兄も私も疲れた顔をしていたのでそれで今日はもう解散になり、姉一家は帰路に、私たちは珈琲豆を調達してから帰る。満開になったらしい桜を見に公園でも行こうかと思ったが、それ以上に人ごみが嫌なので帰り道と家の近所だけにした、これだけでも十分眼福だ。

ライブ前

 暇つぶしにYoutubeをなんとなしに見ていたら、某バンドのテレビ番組でのライブ映像があって、このスタジオ収録に抽選であたって一人で行ったなぁと思い出しながら気軽に再生ボタンを押したら、若い自分の顔がニョッと出てきたので変な声が出た。バンドがステージに出てくる前、オープニングSEが鳴り観客のテンションが高まっているところをカメラは映し、少しボケているとはいえ周りより頭ひとつ背が高く、ちょうど光も当たっている私が何やら叫んでいた。番組が放映された時は見逃したのかなんなのか、二十年以上経って初めて知った自分の姿。数年前に別のバンドのライブDVDに小さくも確かにはしゃいでいる自分の姿が残されていた事があったが顔は見えておらず*1、それはそれで妙な恥ずかしさがあったのだが、それ以上の恥ずかしさがある、別に恥ずかしく思う事はないはずなのに。カミさんに見せたら「わかーい、でも間違いなく龍さんだね」とケタケタ笑っていた。

型はある

 自分で言うのもなんだが、食事作法はキレイな方だと思う、子供の頃にわりと厳しく躾けられた。箸の持ち方もいい、食べる時には食べる事に集中する。なのによくこぼす。しょっちゅうではないけどそこそこ頻繁に、派手ではなく地味に、気づいたらシャツに垂れている。カミさんにも「何でそうなるんだろ」と不思議がられている。今夜もこぼした。そういうのはよくあって、たとえば家庭科の授業では「包丁の持ち方はいいんだけどね」と、美術の授業では「真面目に取り組んでいるんだけど」と、先生に褒められつつも「だけど」と続き、つまり結果はあまりよくないと評されるのであった。立川談志は「型があって型破りになるのであって、型がなければ型なしだ」と言っていたが、一応型はあるのにうまくない場合は何と表現すればいいのだろう。やっぱり「型はあるんだけど」かな。だからといってその型をなくしたらそれこそ型なしになってしまうので、今日もとりあえず自分の型だけでもちゃんとするようにしている。人生と一緒ですね、嘘です、適当です。

三つの光と春

 私のフェイバリットバンドが高らかに新しい音を奏で来月の新譜発売を発表した本日は、私の愛するロックンローラーがいたバンドがおそらく最後であろう新曲三つを入れたEPを発売した。病気を克服し戻ってきた吉井和哉が《shine on》と歌っている。かつて《ひかりはいつも優しくて だから俺は辛くって 襟を立てて歩く》と歌っていたチバユウスケが、本人がどう考えていたかはわからないけれど結果的に最後に残した曲で《光を見つけた 光をつかんだ》と歌っている。また始まるもの、終わってしまったもの、《春はなんか優しくて残酷》だ。


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