不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

九月一六日、孤狼の五平餅戦

 目当ての店が休みだったので、せっかくだから景気良くしようとランチ焼肉に突撃。食後、映画館へ行き、『孤狼の血 LEVEL2』を見る。年末年始に「仁義」シリーズや『県警対組織暴力』を見てしまっていたのが悪かったか、名作と比較するのもいけないが濃度が違いすぎる。前作はそこそこ楽しんだので評判の良い今作は期待していたのだが肩透かしであった。サンマルクでカミさんと感想戦を終えてから帰宅。夕飯は年に数度のお楽しみ、五平餅三昧、栄養は今日は無視する事にして、うまい。食後は姉からオススメされていた『呪術廻戦』の単行本を買ったので読む読む、好みっぽいなとは薄々思っていたが、うへー、おもしろい、まいった、いちいち姉に感想をメールで送ったりしながらついつい既刊本を一気読みしてしまう。近々新刊が出るそうだし、映画も年末に公開されるので読むのによいタイミングだったかも。しかし、カミさんが毎週欠かさず『ジャンプ』を買っているにもかかわらず、ほぼノー情報でこれを初めて読めたのは幸いであった。

底が抜けた、二度

 起きてから昨夜のあれは夢だったのではないかと思いたかったのだが現実は非情であった。無理やり開けた隙間から中の物を取り出して、抜けた底を持ち上げながら棚を引き出す。修理できればしたかったのだがこれは底の板がそもそも薄くて耐久性ないので(組み立ている時にも感じてはいた事だ)お手上げだなと諦めたところで、まさかと二段目を確認したら底が抜けかけていた、もう抜けるだろう。そして三段目はもともとうまくはまっておらず、四段中三段が駄目な状態である事が判明し、またもや愕然とする。買ってたった半年なのに。ここで買った座椅子も座り心地が悪くすぐに買い直したのだった、昔はそうでもなかったのに最近は駄目か。皆さんもお気をつけください。とりあえず次は無印良品で買おうと思っています。

安物買いの銭失い

 日記を書くのを忘れていた事に寝る直前に気づく、疲れて帰ってきたのがもう明日だった。アップしたのは一四日という事になっているが、書いているのは一五日の午前二時直前である。何を書くかと考えながらiPad用のキーボードを棚から出そうとしたら引き出せない、動かない、何事かと無理やり開けて中を見たら底が抜けていた。そんなに重いものは入れていないはずである、買ってそれほど経っていない、安っぽいとは思ってはいたがもうニ×リでは二度と物を買わないと誓った夜。

背中の穴

 そういえば、一年前の九月は背中に粉瘤ができてその処置をした事を思い出した。先日黒猫の後ろ足の付け根にまた膿が溜まってしまい、病院で絞り出されて悲鳴を上げていたのだが、俺も粉瘤処置の時には「グヌッ~」と声が出たのでその痛さと辛さがわかる、初めて猫の気持ちが理解できた。カミさんに背中を見てもらったら傷跡は特に見当たらないそうなのだが、自分で背中に手を回して触ってみると、指先で微かに跡がわかる、へこんでいる、穴が空いていた、まだ空いている。

九月一二日、ナゲット

 ジャンクなものが食べたかったのでマクドナルドに行くと少し早めだったせいかまだモーニングの時間帯だった。それでもいいやと頼んで、ジャンクな欲求はチキンナゲット15個入りで解消する、カミさんとわけたので全部ではないがまぁ大半は俺が喰った。中学高校の時は一人で15個喰うのが当たり前だったなと思い出し、さらにマクドナルドでカレーを出している時代もあったなともっと昔を思い出す。テリヤキバーガーが加わるまでハンバーガーが好きではなかった。そのままマックで仕事をするというカミさんと別れて会社へ行き、夜まで仕事、帰るのは明日。

九月一一日、カリーデイズ

 昨日の日記は、書き終わってアップしようかという段階で今日が一一日ではない事に気づいて、明日に回そうかと思ったけど今日書く事が他にないからと冒頭の「二十年前の今日」を「二十年前の明日」に変えてアップしたのは内緒の事である。昼にC&Cでカレーを喰って、会社へ行き、夕飯だぞと連れていかれたのがインド料理屋で、チキンバターマサラカレーを食べた、今日はカリーデイズであった。

左足がうずく

 二十年前の明日、俺はイギリスのオックスフォードにいた、大学の短期留学プログラムだ。何もあの名門オックスフォード大学に留学したわけではなくて、行った土地、街がオックスフォードだったというだけである。一度くらい海外で過ごしてみろと母に言われ、金を出してくれた、一度イギリスに行ってみたかったのでちょうどよかった、全部で一カ月程度で一一日は数日経った頃だった。

 最初の週末にディスコといえばいいのかクラブといえばいいのか、とにかく踊れる場所に行って適当に踊っていたらコケて盛大に左足首が腫れた。酒も飲まんと一体何をしているのかと我ながら呆れるしかない。念の為に医者に行った方がよいと言われたので、付き添いのイギリス人と病院に向かった。医者の専門用語を交えた英語を、付き添いが簡単な英語にして俺に伝えて、何となく理解するという遠回しのコミュニケーションを何度か繰り返して、骨に異常なし、捻挫と判明。この時に診療代を払った記憶がない、異国での診療費は高いと聞き、高額だったら覚えているはずだが、おそらく大学のプログラムなので大学側が何とかしたのだろう。

 足を動かさずに安静にしているべきなのだが、イギリスまで来ておとなしく部屋に籠っている手はない。足を引きずりながら一人で出歩きまくった。一人だったのは同行者がいたら足が気になるだろう、余計な気苦労はかけたくなかったからではなく単に共に出歩くような友人ができなかっただけである。バスで一時間ほどのロンドンに出て大英博物館やテート・モダンに行った、町を歩いたり、紅茶とスコーンを楽しんだりした。パブにも行って「ペプシッ!」とオーダーしたら店員は満面の笑みで「OK!」と答えてくれた、足を引きずった髭の日本人がパブで酒を頼まない光景は彼らにどう映ったのだろう、フィッシュ&チップスがうまかった。

 足は痛いながらも楽しんでいたある日、宿泊場に戻っていったらやけにシンとしている、テレビがつけっぱなしでみんな食い入るように見ている。通りがかった人に「何かあったんですか?」と聞いたら、「アメリカでビルに飛行機が突っ込んだ」と言った、冗談だと思った、本当だった。大変な事が起きたんだなと思った。この時はもしかしたら次はイギリスが狙われるんじゃないかと言われていて、右往左往している人がいたけれど狙うならロンドンでオックスフォードには来ないだろうと俺は全く心配していなかった。あの光景を見ながら泣いている人がいたけれど、何故泣いているのかよくわからなかった。ニュースや新聞を見ても英語なのでいまいち理解できない、情報を探るのをやめて、前と同じように過ごす事にした。

 帰りのヒースロー空港はまだ混乱の中にあった。搭乗時間ギリギリまで空港内にも入れてもらえなかった。手続きに時間がかかった。歩いていたら突然呼び止められて手荷物をチェックされた、メガネケースまで開けられた、なんやねん、爆弾なんかないっちゅうねん。飛行機が成田空港に無事に着陸した時に客席から拍手が起きた、何の拍手だと思った。いま思えば、あのテロが起きた時にイギリスにいたのはよかった。日本にいて様々な情報の渦に巻き込まれなかったし、それでいてアメリカから遠くて近いイギリスにいる事で緊迫した空気だけは味わえた。

 それだけの話、単なる思い出話である。九月一一日という一日について、これ以上も以下もない。ただ、この二十年間、九月一一日前後はいつも左足が、ほんの少しだけ、うずくような気がする、これはいつまで続くのだろう。