不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

珍しく青

 このあいだ「あそこの交差点はいつも赤信号でひっかかる」という日記を書いたのだが*1、昨夜ぼんやり見ていたTumblrでこんな引用が流れてきた。

今日祖父を、予約しておいた病院に車で連れていったときのことだ。2つ続けて赤信号に引っかかり不満を言っていると、祖父はクスクスと笑い出した。「お前はいつも赤信号に文句を言ってる。だが青信号を褒め称えたことがないな」

 なるほど、私もそうであった。心持ちというものを替えてみれば生活や世界の見え方が変わるはずで、今日たまたま先の日記の《いつも行きたい方向が赤信号になる》交差点に行く事になり、さてはてと思っていたら、なんと青信号で立ち止まる事なく歩を進める事ができた。このタイミングはいったい、神の采配か、だとしたら神はずいぶんと暇だな、まぁ大小様々な神がいるから誰か一人(一神?)くらいはそういう事をするのかもしれないけれど、ともあれ、褒め称えた事のない青信号を「いいぞ、よくやった」と心の中で褒め称えながら横断歩道を渡った。

やる前からもう疲れている

 今月下旬に仕事が結構詰まっているので中旬はゆるゆるで行きたい、行けそうだなと思っていたら、急転直下でタイトな作業が入ってしまった。おかしい、逃げ切れるはずだったのに何故だ、何故いつもこうなってしまうのか。そういう星の元に生まれているのか、どんな星だ、爆発しろ。「仕事が早い」などという評価をもらわないようにすべきであった。超特急作業による割増料金を請求したい。

翌日の事

 そういえば三月十一日はよく覚えているけれど、三月十二日はどうだろう、意外と覚えていない事にいまさら気が付いた。この辺の日記は何を書いていいかわからず、祈るような一文ばかりだ、あまり読み返したくない。その日は土曜日で、改めてアパートに帰る彼女(現カミさん)を見送り、あとは自宅で過ごしていたはずだ。方々に連絡をとった。節電しようと家の電気を消していた。何を食べたかは忘れてしまった。いろいろな意味で自分自身の弱さを痛感していた。そういう事も覚えておいた方がいいのかもしれない。あれから少しは強くなれただろうか。

一年後の今日というカレー

 今日、昼にふらりと入った店のランチメニューに「濃厚カレーうどんごはん」とあったので注文したら、カレーうどんだけ出てきたので「ごはんは後から出てくるのかな」ととりあえず目の前のうどんを食べ始めたら、底の方にごはんがあった。たしかに「ごはん付き」でもなければ「うどん・ごはん」でもなく「うどんごはん」だから一緒くたになっている事は表記されているものの、ちょっと驚いた。できれば自分のタイミングで入れたかったなぁと思ったものの、意外と麺と米が層ではっきりわかれていて混ざる事はなく、きっちりわけて食べられた。濃厚と銘打っているだけに汁がドロッとしているから、もし後入れだとうどんを食べ終わった段階で汁が少なくなってしまうので先に入れておくというスタイルに辿り着いたのだろうと食べ終わる頃には感心していた。そして、そういえば昨年の今日もカレーを食べていたし、十三年前の今日もカレーを食べていた事を*1店を出た時に思い出して、やはりこれは祈りの一つなのだろうと一年後の今日もまた思った。


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三月一〇日、昼は魚、夜は肉

 予定通り昼過ぎに会社にぶらぶら行くと、部署の一人が出ていた。挨拶だけしてお互いに自分の仕事を黙々と進めるだけ。ひと段落して何か外から連絡あるかもと少しだけ待機したが何もなかったので先に帰る。本屋だけ寄ってから帰宅。夜は『光る君へ』を見る、古今和歌集漢詩の文通が男・女を“逆転”させている構図がおもしろいし、愛の濃厚な交錯やすれ違いと陰謀クーデターが同居している大河ドラマで、戦闘がないから絵面は地味だが個人的にはたいそうおもしろい。

三月九日、居酒屋へ行っただけ

 明日は会社へ行って仕事をする予定なので今日は休む、ただ家で休むだけ。久々にうまい居酒屋Sへ行きたくなって、いつも混んでいるうえに土曜ではまず無理なのだが、たまにやる次の客が入る前に入店して喰えばいいという作戦を敢行。理外の十六時三十分に予約を入れて、次の予約の十八時三十分までに出る事を約束する。結果、一時間ほどで食べたいものを全て喰らって店を出る事に成功、ミッション・コンプリート、ちょっと食べすぎたくらいだ。遠回りしながら帰宅してもまた十九時。またひたすらだらだらして過ごして今日は終わり。

三十年前の僕らは胸躍らせて『ドラゴンボール』を読んでいた

 あれからいくら年月が経っても、いや、年月が経てば経つほど、その創造性、革新性はより輝いていった。鳥山明の漫画やイラストを知らなくても、もしかしたらそれらが好きではなかったとしても、その影響を受けた作品や作り手には絶対に触れているであろう、それくらいの人だったはずだ。いちいち具体例は出さないがその影響力はたとえば手塚治虫藤子不二雄と並ぶ、もしかしたらそれ以上ではないかとすら思う。尾田栄一郎の追悼コメントの一節《僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから》*1の「血液レベル」は決して誇張ではないだろう。

 『Dr.スランプ』には間に合わなかったが、『ドラゴンボール』をリアルタイムで毎週読めた事は人生最大のラッキーの一つだ。小学生の頃、自宅から公園を挟んだ向かいにある駄菓子屋が土曜日にこっそり『ジャンプ』を早売りしてくれていたのを、半ドンの授業が終わるや買いに行っていた。フリーザ編は先に読ませろ、早く読ませろと姉としょっちゅう争っていた。他の好みや趣味ができても『ドラゴンボール』は最後まで見届けようと決めていた。少しずつ距離はできていったものの、まだまだ漫画も読んでいた。カミさんは『ドラゴンクエスト』の猛烈ファンだ。

 ほとんどメディアに出てこない人だったからあのロボット自画像のイメージが強く、だからあの頭に輪っかを浮かべて「いやー、死んじゃいました、お騒がせしてすみません」「ではみなさんもいずれあの世でお会いしましょう*2」なんて言ってひょっこり出てきてほしい、いやたぶん見えないだけでそうなっているのだろう。

 あなたのおかげで私のいまがあります、有難うございました。

 その日はいつか来るんだけど、そのいつかはいつだって唐突だ。

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