不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

一一月一三日、仕事へ行くつもりだった

 「ワーカーホリックな上にずっと続いている忙殺状態、そこに不調で頭が正常に働いていないのだろうけど、あなたはいまおかしい。顔色も悪い、呼吸もおかしい、それで会社に行くつもりなのは判断能力を欠いているとしか思えない。今日は行かないで休んで」とカミさんにキレぎみに言われる。「昨日家で作業するんだろうと思っていたのに会社に行くし、帰ってくるのが終電近いなんて狂気の沙汰だよ」。はっきり言われて、そして自分でも今日は絶不調、十メートルほど歩くだけで咳き込んで息切れをしていて、もう駄目だとようやく気づいた。後輩に連絡し、家でできる作業はゆるゆると対応する。時計を見て、もし行っていたらこの時間(二十二〜二十三時)でもまだ会社にいたのだろう、そしてそのあとあの状態で帰るのだ、気が遠くなる、本当に正常な判断ができていなかったようだ。明日復調できているとも思えないが、明日の事はまた明日考えよう。

一一月一二日、家で仕事をするつもりだった

 昨日、ちょっと風邪っぽかったので風邪薬を飲んで寝たのがよかったのか、久し振りにそれなりに眠れた気がする。友人に会いに行くカミさんを見送り、少しぼんやりしてから家を出る。食欲薄めなのでドトールでレタスドッグとカフェラテのみ。仕事で某所に立ち寄ってから会社へ向かったが、そういえば今日は家に戻って在宅で仕事をするつもりだった事を会社近くまで来てから思い出す。いつもより調子がいいから大丈夫だろうと楽観するも、だいたいそういう油断が追い打ちになったりするので気を付けたい。自分の体調と相談しながらゆるゆる作業。

死んだら新聞に載るような

 YOSHIKIHYDESUGIZO、雅がバンドを組むと聞いた、YOSHIKIはキーボードに専念してドラムは真矢の方がいいのではという余計な事も思った、あとベースは誰だと、ともあれヴィジュアル系はあまり通っていない私でも色めき立つメンバーであるが、それにしたってあのバンド名は何なのだろう。桑田佳祐佐野元春あたりがこの名前で組むというなら、ダサさも含めてよしとするが、この四人なのだ。言葉のセンスは悪くない、むしろいいと思うのだが一体どういう話し合いのもとでこれに決定したのか気になる。THE LAST ROCKSTARS、個人的には絶滅危惧種の中で唯一無二の、そして最後のロック・スターと思っているのは吉井和哉なので、彼を差し置いて名乗るのかね、と俺は誰やねんというような事を思ったのは秘密です。私にとってのロックンローラーチバユウスケ、ロック・シンガーは宮本浩次、そしてロック・スターは吉井和哉なので、ひとつよろしく(何をだ)。


www.youtube.com

プレゼンの時代

 わりと会社で仲の良い人と話していたら、何の流れからか「君は元気そうでいいね」と言われて飛び上がるほど驚いた。散々咳き込んでいる事は話しているし、目の前でも何度も咳をしている。「いや、咳き込んでいて、夜も眠れないと言ってるじゃないですか」と戸惑いながら言ったら、「え、そんなに悪いの?」と帰って来たので呆然としてしまったが、他人からすれば同僚の健康状態なんてそんなものなのだろうか。気にして不調な人はできるだけフォローするようにしていたが、私だけなのだろうか、まぁ実際全くフォローされていないのだが。しかし話していた人は、言い方は悪いがかなり心がない人なので(どんな人だよと思われそうだが、そういう人なのだ)、あの人くらいなのかもなぁと思いつつ歩いていた通路で結構激しく咳き込んでしまったらそれを上司が見ていて、「おい、本当に大丈夫なのか」と心配されたから、やっぱり主張すべきものは主張する、プレゼンの時代なのだなと思ったりした。ちなみに「大丈夫ではないです」と返しておいた。

冬の出会いと別れ

 あなたと出会ったのは二〇一九年の冬でした。その一年前に妻が難病になり、あれこれと対応している間に時間が過ぎていき疲れ切っていた私の前にあなたは現れて、冷たくなった心と身体を温めてくれました。すぐさま虜になりましたが、毎日会いに行ってはいけないと己を戒め、それでも週に一回、多い時は二回あなたに会いに行ったのです。そこに行けばあなたがいる、それだけで私は満足していました。ところが冬が終わり春になろうという時に、あなたはいなくなってしまったのです。探そうと思いましたが、探すまでもなくそこにいなければいない、喪失を受け入れて、それでもきっと次の冬にはまた会えるんだと自分に言い聞かせていました。しかし次の冬、そしてまた次の冬もあなたは私の前に現れませんでした。そして今年、きっと会えるよりもきっともう会えない、そう思っていつもの場所に行きましたがやっぱりあなたはいませんでした。理由はわかりませんが、もう二度と姿を現さないのだろうと半ば確信しています。次に会えた時はもうあの頃の私たちではなく、きっとお互いに変わってしまっている事でしょう。ですから私は別れの言葉を書きます。さようなら、鴨白湯ラーメン。あの店でたったひと冬だけ出していたラーメンを味わう事はもうないのです。もう朧げになったあなたの白い姿と味だけを抱えて私は生きていきます。《泣かないで私の恋心、涙はおまえにゃ似合わない。ゆけ、ただゆけ、いっそわたしがゆくよ、ああ心が笑いたがっている》。

月と星を喰う

 今宵は皆既月食で、そのうえ天王星食も同時で、これが日本で見られるのは442年ぶりの事だという。陰っていくのを「食べる」と表現するのがおもしろい。ちょいと天王星について調べたら発見されたのは1781年のイギリスだそうで、という事は442年前の1580年は天王星は把握されていなかったのだから、人類がそれと認識して観察するのは今回が初めての事になる。1580年は信長も家康がいた頃だ、月が陰っていくのを見て何と思ったのだろう、文献で残っているのかもしれない。皆既月食天王星食が次に日本で見られるのは322年後らしい、その頃日本という国はまだあるのだろうか、世界はどうなっているのだろうか、私の「見た」という言葉はどこかへ消えているだろうか、星だけは変わらずに存在しているだろう。

車内の会話

 若い時は金がないのもあってタクシーに乗るなんて贅沢で勿体無い事だと思っていたけれど、オッサンになってずいぶん気軽に乗るようになった。それでも急を要したり、ヘトヘトになった時くらいではあるが。車内では基本的に黙っていたいのだが、何かのキッカケで運転手と話すのもたまになら悪くない。ただ、「この話、知らなかったでしょ」と言わんばかりに知っている話をされると反応に困る。このあいだは「表参道って、明治神宮の参道だからああいう名前なんですよ」と教えてくれたが、わりと知られた話だろうて、そんな得意げに言われてもなと思いつつ「あー、なるほどねー」と棒読み気味だが一応知らないテイで返した。客なのに何故こっちが接待みたいな対応をせねばならないのかと降りると腑に落ちない気分になる。陰謀論みたいな事を言ってくる人もいる、その時も「へー、そうなんですか」で切り抜ける。「なるほど」「そうですね」「それは人によりますよ」の三語で会話を成立させるのが社会人というネタを聞いた事があったが実践していた。