不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

一一月六日、ぐったり

 咳の発作が朝に出る事が多いのだが今朝はうまくコントロールできたなとホッとしていたら、昼前に外出すると身体が怠くて仕方がない、昨日頑張った反動か。とりあえずカレーを喰って気を入れて、喫茶店でのんびり読書をして休めるも、やっぱり怠いので帰って昼寝。寝といっても咳が出るので目を閉じて横になっている程度だが休まりはした。夕飯は肉少なめ野菜多めのチゲスープ一杯。なんというか、心身ギリギリのラインをずっと歩いている、特に心。追い詰められているわけではないし、大きな負担があるわけでもない、ただ単に暗い中にいる。

一一月五日、ピカソ、マティス、クレー、ジャコメッティ

 やはり気分転換したい、最近は近場か公園ばかりに行く、たまには美術展などはどうだろうか、そういえば愛読しているブログでいい美術展が紹介されていた事を思い出して、上野まで行く。いつ以来の美術展か、そしていつ以来の上野か。前に来た時はまだ駅がキレイになっておらず、駅と公園の間には道路があったがすっかりなくなっていた。向かうは国立西洋美術館ピカソとその時代/ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」*1である。混んでいるかと思ったが、一昨日の文化の日は無料観覧日だったから今日は空いているのではないかと予想し、それが的中。予約をしていなかったが、買ったその時間帯でスムーズに入館できた、ラッキー。

 その名の通りベルリン国立ベルクグリューン美術館に所蔵されているコレクションからの展示で、これまたその名の通りパブロ・ピカソをはじめとした20世紀ヨーロッパ美術の足跡をめぐる美術展。ピカソ好きなのでそれ目当てでいって、確かに充実の作品群では満足したのだが、個人的には「その時代」として括られたアンリ・マティスパウル・クレー、アルベルト・ジャコメッティの作品に見入った、ジャコメッティこそ数は少なめだったがこちらも充実の作品群。中でもクレーの色使いを改めて楽しんだ、いかついオッサンのくせにファンタジック。マティス東京都美術館で来年春頃に大規模な美術展が開催されるそうで、そちらも楽しみ。

 常設展示も入ったが、こちらがこれまた充実かつ大ボリュームの展示で楽しいのだがそのぶん息切れしてしまった。体力減退中に美術展は駄目だな、脳を動かしながら歩き回るのだから。残念ながら回りきれずに途中でリタイア、無念なり。

 最近は現代美術でなくとも撮影可の美術展が多いらしく、今回もそうだったのだが、撮影する行為、そして撮影者がいる状況それ自体が作品の一部になり得る現代美術ならともかく、古典・近代美術で撮影するのもなんだかなとちょっと思った。思ったが、可なのだから咎める気はさらさらなく、自分も気に入った作品を撮ろうかなとそのつもりでいたが結局一枚も撮らずに終わってしまった。

 もういっちょう国宝展も行ってみっかと出かける前は考えていたがもちろん行けるわけはなく、駅内カフェで一休みしたらとっとと帰宅。疲れてしまったが、今日はがんばった、楽しかった、美術展はまた行きたい。

仕方なかったはずなのに

 「健康診断なんか受けたら、悪いところが見つかっちゃうだろ」と本気で言う人を何人か知っていて、一理ありそうでそれはもうご老人だからであろう、若年層から中年層はやはり早期発見早期治療が一番のはずなので受けた方がいい。とはいえ、数字に一喜一憂右往左往するのもまたそれ自体が不健康なので診断結果はちょっとした目安程度に考えておいた方がいいかもしれないーーなどとグダグダ書くのは今日が健康診断で、何せ半年ばかし忙しさ+体調不良なのでいい結果が出るわけがない、昨年ぐっと痩せた反動で体重は増えているだろうし血液検査の数値も悪かろうと予想し、自分への言い訳をしていたのである、仕方がないのだと。

 そして結果であるが、体重は昨年と0.1キロも変わりがなく、体質的に高い尿酸値や悪玉コレステロール値は悪いは悪いが昨年よりはよくなっている、このままがんばりましょうという改善傾向になってしまった。忙殺と喘息がいい方向に働いたとは思えない。今週入ってから少しだけ食事を気にしたからか、それとも十日くらい前から飲み出した漢方の思わぬ効果か、よくなっているのなら問題はないのだけれど、気になって仕方がない。とりあえず同じようにまた一年過ごしてみるか。

一一月三日、愛宕

 心身やられている私を見かねたカミさんが気分転換に行こうと東京駅からバスに揺られて辿り着いたのは愛宕山愛宕神社だった。天然の山としては二十三区内で最高峰だという。近くに高層ビルがある中なのでぱっと見そうは思えないが、有名な「出世の階段」の急っぷりを見るとちょっとたじろぐ。登っている時は単にキツいだけなのだが、ふと下を見るとなかなかの怖さで足が震える。

 参拝後、カミさんが健康お守りを買ってくれたので財布に入れておく。鯉に餌をやってからラムネ一本を二人で分け合う、今日は暑いくらいでラムネがうまい。帰りは緩い方の階段に行くが比較的緩いだけでここはここで急は急だった。

 そういえば行った事なかったなと近くの虎ノ門ヒルズへ行ってみる、行ってみたところで居場所もなく、オープンエアのカフェに入ってのんびりする、「健康のために太陽を浴びろ」と先日言われたのでそれもあって。ただいつも一時間くらいは歩いているので陽の光はそこそこ浴びていると思うのだが。

 銀座線の虎ノ門駅まで行って帰路に。地元をもう少しぶらぶらするつもりが疲れてしまったので家に帰ってしまう。体力が落ちたか、他の要因か、または両方か。

「黒いよ」

 どこかの立ち食い寿司屋で出たみそ汁に海苔が入っていたのだが、それがたいそううまかったので家で真似してみたらこれまたグー。以来、海苔が我が家でちょっとだけ流行っている、といってもチョレギサラダを作ったりする程度なのだが、今日帰ってきて「夕飯はなんだ」と聞いたら、「黒いよ」とカミさんが言うのでイカスミリゾットか何かかと思ったら海苔鍋だった、そういう鍋つゆの素が売っていたという。具材は鶏肉とキャベツ、きのこ、にんじんで醤油味、確かに黒い、そしてうまい。柚子胡椒でアクセントをつけてもいい。〆はチーズと米を入れた海苔リゾット、うまいけどチーズがなくてもいい気がした。海苔プチブームは続く。

評価

 高校時代の生活指導の先生や会社のあまり好かれていない人とでもわりと仲良く付き合えるのは誰に対してもあまり態度を変えないからなのだが、同時にあまり人の好き・嫌いがないからかもしれない。親しい人はいるけれど好きな人は特にいない、嫌いではない人はいる、嫌いだという人はあまりいない、苦手な人はいるが嫌いとは違う。他人に興味がないからだろう、態度は変えないが相手に内側に踏み込ませないようにもしている。興味がないから自分がどう思われているのかわからないし知ろうともしない、いや少しは気になるが知ったところでどうしようもないとも思う、これが私なので。と書くと、何やら他人からの視線や評価を気にしない超然とした人物のようだがそんなことはなくて、やった事への評価は多少なりとも気にする、幼少期のトラウマなのか怒られる事がひどく怖い、褒められたい、オッサンのくせにこんな事言うのもなんだなと自覚も一応している、だけど褒められ下手で自分で主張などはせず、よく一人で堂々巡りをしている。それなのに他人に興味がないのだから、一体どんな人間なのか、まぁ私なのだが。この日記を何となく書き出した時はこんな内容にするつもりは全然なかったのにな。

火加減

 先に漢方の病院に行って、そこの先生に紹介状を書いてもらって大学病院へ行って同じ先生に診てもらう事になった。自分で自分に書いた紹介状には何て書いたのだろう、気になる。先の病院で漢方をもらってから数日後に大学病院へ行ったのだが、そこで先生に「煎じ薬とお湯に溶かす粉のやつとどっちがいいですか。煎じ薬の方がオススメだけど」と聞かれたので、じゃあオススメでいいですと返したら、「毎日面倒じゃない?」と再度問われたので、いやー結構楽しい時間ですよと言ったら笑われた。本当ですよ。確かにやる事は毎日同じなのだが、実はまだ火の調節をマスターしていない。私もカミさんもいまいち安定しないのだ。昨日私が作ったら弱火だったらしくいつもの倍の量に、今日カミさんが作ったら今度は強火でいつもの半分くらいの量になってしまった。全部飲めば結局は同じ事だろうとは思うのだが、ジャストな火加減をマスターしたい、先は長いのできっとそのうち。