不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

一〇月三〇日、日本シリーズ

 亡くなった黒猫は、書いた通り最初は姉一家の猫だった。ペット霊園の共同墓地に埋葬(埋めてはいないけど)したのだが、そこに姉一家も行きたいと言うので今日地元まで来てもらった。先にお気に入りの飯屋で食事をして(運よく少し並んだくらいで五人入れた)、霊園へ行き、お参り。私は墓に全く重きを置いていないのだが、こういう時に墓の効用のような事は感じる。おすすめのお菓子屋などに寄りながら隣駅まで散歩をしてから喫茶店へ。ずっと何か語るか、絵を描いている甥っ子のパワーに慄く。姉の話を聞いていると、なかなかに特殊な子でそのままスクスク育ってほしい。夕方前に解散。疲れたので駅チカで寿司を買って帰り、夕飯はそれ。今夜もまた日本シリーズを見ていたらオリックスが五点も勝ち越し、これは決まったかもなぁと思いつつ、二十時からは『鎌倉殿の13人』に切り替え。和田の最期、巴の愛、義時の冷徹、泰時の酒、三浦の狡猾、実朝の覚悟などなど見応えたっぷりだった回での私のハイライトは、文官なのに政子に手を握られて力百倍勇気千倍で無双しまくった大江でした。あいつなんなんだよ。さて、どうなったかなと再び日本シリーズにチャンネルを戻したら点差は変わっておらず、風呂入るかなぁなんて思っていたらヤクルトが一点返し、おっとこれは……と前のめりになったらスリーランで一点差。見届けねばと腰を落ち着かせて最後まで。結局はオリックスの勝利、おめでとうございます。ヤクルトも頑張った。昨年に続き、いい日本シリーズだった。この2チームは相性がいいのか悪いのか、またやってほしい。

一〇月二九日、スープカレー

 おいしいカレーを食べに行こうと誘われて喜び勇んでついて行ってみるとそこがスープカレーの店だったら怒りはしないが少し不機嫌になるかもしれない。カレーと名がついているけれどあれはカレーではないだろう、いやカレーの定義に当てはめたらカレーなのかもしれないが、いやいやあれはスパイススープライスといった方が当てはまるはずだ。ではそのスパイススープライスを食べに行こうと思う時があるかというと、ほとんどない。ないのだが、先日カミさんが一人で行ったスープカレーの店がなかなかよかったと言い、そして今日の昼は食べたいものが定まらなかったのでそこへ行ってみる事にした。下北沢に住んでいた時以来のはずなので十年ぶりくらいか。カミさんが評価しただけあって、なかなかおいしかった、また来たっていい、だけどやっぱりこれはカレーではないのではないかと思った。

 台湾茶屋でテイクアウトのウーロンミルクティーを買って公園へ。いい天気、ベンチに座って日光浴と森林浴、気持ちいい。暑いし蚊もいるから夏はあまり来ないとはいえ、こういう公園の時間は久し振りか。何だか溶けそうになる。飲み終わってぷらぷらと公園内を散歩。人は多いがストレスにはならない程度で気分いいなぁと歩いていたら、鞄に突っ込んでおいた空の紙コップがない。歩いている間に落ちてしまったのだろうか。レシート一枚くらいならともかく紙コップはゴミとしてはなかなかの存在感、ポイ捨てはいかんだろうと来た道を戻っていくと最初に座ったベンチの近くで発見。よかったよかったと拾って今度は鞄から落ちないようにねじ込んでおく。古本屋と本屋を周り、小休憩と思うもどの店も混んでいたので帰る。夕飯は軽めに麺ポンうどん。日本シリーズをつけっぱなしにして読書。

規則正しい生活を

 上司との会話。

「君の咳は結局何が原因なんだ?」
「肺には何もないし、血液検査でも特にない。医者はストレスと疲労だなと」
「そうか……」
「規則正しい生活を心がけるように、との事でした」
「俺はストレスないし、規則正しい生活だよ」

 それは何よりですが、あなたのストレスフリーな規則正しい生活と私の体調は関係がないのです。金も休みもくれ。わかって言っているんだろうけど。規則正しい生活をと言われても朝起きる時間と夜寝る時間はそこそこ決まっているし、食事の時間も同じようなものなので、意外と規則正しいような気がする。結局は会社にいる時間と仕事の量になるのではないか。大学卒業後の短いフリーター生活の時にある精密な血液検査をする機会があったのだが、結果を見た医者から「君はストレスないねー」と言われた。その後このザマという事はストレスの要因は言わなくてもわかるというものである。抜本的な解決は、仕事を変える≒会社を変える、になる。それも有りだけど現時点ではまだ考えていない、とりあえず現時点では。

三、四十分

 『あたしンチ』で父が漢方に手を出したものの、薬があまりにまずいのでせっかく作っても飲むのを先へと延ばそうとする、という回があったのを思い出したのは、自分も漢方を飲み出したからだ。咳がひどいので紹介してもらったところで自分用にオーダーメイドしてもらった煎じ薬、600ccの水を入れてトロ火で三十〜四十分ほど煮込んで量を半分にまで減らして出来上がりなのだが、なかなか表現に困る香りだったので覚悟はしていたものの味もしっかり表現しづらいもので飲むたびに顔にシワが入る。一言でいってしまえば身も蓋もなくまずいなのだが、かといって苦いわけでも後味がひどいわけでもなく、飲み終えてしまえば喉元すぎて何とやらなので、父のように飲むのを先延ばししようとは思わないのはよかった。効果のほどは、まだ飲み始めて三日なのでわからん、そのうち何かしらよい影響が出てくると期待したい。毎日鍋で三、四十分かけて煮詰める時間は、面倒といえば面倒だが滅多にない機会なのでそう悪いものではない。「トロ火で三、四十分」と聞くたびに何かの歌詞に似たようなのがあったなと悩んでいたが、今日ようやくわかった、ハイロウズの“コインランドリー”だ、正確には《小銭と3、40分》。


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Bruno Mars Japan Tour 2022 at 東京ドーム

 体調はイマイチなままだったが、A席で上の方だから座ったまま見られるだろうと元気をもらうつもりで東京ドームへ行く。ブルーノ・マーズのライブである。彼のパフォーマンスは2014年のスーパーボウルのハーフタイムショーの時に見た、当初はゲストで出るというRed Hot Chili Peppers目当てだったのだがそのパフォーマンスは見応えあって、これは一度生で見てみたいと思っていた。このたびの急な来日公演は全て即完だったそうだが、会社の先輩から行けなくなったと一枚譲ってもらったのだった。いつ以来か、確かコロナ前のThe New Mastersounds以来の来日ミュージシャンライブ、東京ドームは超満員なのだが運営も久し振りなせいか客捌きがイマイチで開始時間までに入られるのかとハラハラした。私はセーフだった。

 少し押してスタートしたライブはやばかった、語彙力を喪失するくらいやばかった。圧倒的な歌唱力とパフォーマンス。言うまでもなく大物ミュージシャンなのに子供っぽい愛嬌があるのがずるい、自分でカワイイ言うな、カワイイけど。バックバンドも当然仕上がっていて、最初から最後までとにかく楽しすぎる、文句などどこにあろうか。大阪での二日間の公演を経ているので日本の空気もバッチリ掴んでいるようだし、対するオーディエンスもかなり出来上がっていてシンガロングも完璧。なんなんだ、こいつは、エンターテインメントの化物か。

 それにしてもこの圧倒的なステージを前にして、ずっとスマホで撮影している人たちはなんなのか……。確かに撮影禁止というアナウンスは聞こえなかったし、曲によっては客からライトで演出していたものの、何か見失っていないかね、と聞きたくなった。隣の人はスタートかららすとまでカメラを作動したスマホ片手だった、何しに来たんだろう。ライブに来たら音楽を全身で聞け。

 元気をもらうと言いながらやっぱり疲れたけれど、歓声のあるライブはいい、また何か探して行こう。それこそレッチリは来日しないだろうか、待っている。

勝手にやればいい

数年前に学生と話した時に『漫画はYouTubeなどに比べてコミュニケーションに使うにはコストが高い』と言われた話 - Togetter

 タイパという言葉を初めて知ったが、要するに「時間的にも費用的にも漫画をコミュニケーションに使うには高い」という事らしい。その発想、認識ならばファスト映画や一・五倍の速さで見る人の存在も頷ける、これらが若い人だけの話なのかよく知らないが。それにしても漫画などエンターテインメントをコミュニケーションツールとする発想や認識に驚いたのだが、しかし昔だってこのテレビ番組を見ていないと、このゲームをやっていないとクラスの会話についていけないという事があっただろうから同じといえば同じかもしれない。もっとも私はついていけなくても気にしないのでそういう焦燥感は全くなかったけれど、いまの若い人たちの方がコミュニケーションに切実な気もする、当たり前のようにネットがありSNSがあるのだから。だからそうなんだと理解はするが、それで終わる。

 「いまの若い人はこう」という言説に興味がわかないのは、自分が若い時に上の世代に理解されたいと思った事がないし、上の世代の認識や感覚を理解はするが(それはある意味で歴史なので)無理に納得しようとした事がないからだ。世代論というのは好きではないけれど世代で区切られているのは確かであって、それは仕方ないものだと思っている。若者に関わる仕事の人は対応せねばならないから大変だろうが、彼・彼女らがメールやLINEで「句点を使ったら冷たく感じる」なんて知った事か。そっちはそっちでオッサンたちの事なんか知った事かと、勝手にやっていけばいい。以前、山下達郎が「同世代の人に向けてメッセージを」と聞かれて、《「ベタですけど、“大変な時代になりましたが、お互いがんばりましょう”ということですね」》と言い、直後「では、下の世代の人に向けてひとこと」と聞いたら《「ジジイの御託には耳を貸すな」》と言ったのを思い出した*1

ちゃんと映画公開記念特製小冊子付きを買っていた

 先日発売されたよしながふみきのう何食べた?』の20巻、発売日に本屋で買ってきて、さて既刊本と揃えておこうとしたところで、19巻がない事に気づいた。漫画は基本的に電子書籍で買うようになったのだが(巻数が多いので対処しきれないので)(かといって活字本も対処しきれていないのだが)、紙で買い始めてしまったものはいまでも紙の方を買っている、『きのう何食べた?』は紙。19巻を買い逃してしまったのだろうかと疑いながら20巻を読んだら、この話はあれの続きだよな、という事は19巻に掲載されていたんだよな、という事は買ったんだよな、とまではわかったのだが、どこにあるかさっぱりわからない。いつも既刊本とまとめて置くようにはしているのだが。あれこれ探して、やっぱりない、買い直すのもなぁ、というところまで来て、普段はハンカチなどを入れている袋をひょいとあげたらその下にあった。何故こんなところに。まぁあったからよしとするか。こうやって忘れ去られた漫画や本は他にもありそうだ。年末までに一度整理をせねばなぁ。