不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

打つべし打つべし

 キーボードの不具合でダブルエンターになってしまう事は書いたばかりだがバックスペースで改行を消す作業にも飽き飽きしてきたので買い替える事にした。現在のキーボードにしたのは四年前で九千円くらいだった。同じキーボードでもいいけれどもう少し高価なやつに手を出そうかなと思い、なんやかんやと調べてみたものの試し打ち期間があるわけでもないので最後はフィーリングで決めた。今回のお値段はぐっと上がって一万五千円くらいで、高い、高いが毎日使うのだからいいじゃないかと思いつつ結構迷っていたのだが、先日カミさんがヨドバシカメラで万単位の買い物を店員の説明を聞くや否やスパっと買っていたので、その勢いに乗って俺も買うぞと店員にこれくれと言ったら在庫がない、関東圏にはない、京都と北海道にあるけどそれも数個のみと言われ、そんなに人気あるならいいやつなのだろう、取り寄せてくれと頼んで、本日がその使い初めであった。PCについてくる安いキーボードから前回のそこそこキーボードに替えた時のような感動はないものの、なかなか気持ち良い打鍵。初めこそやや違和感をもったが、それもすぐになくなった。キーボードは消耗品ではあるがなるべく長いお付き合いをしたいと思っている、思っているがもしも次買うならまたちょっと高い、いいやつにしようかななどとすでに考えている自分もいる。高ければいいとは言わないけれど、イヤホンとキーボードは高いやつは高いなりにかなりよいものになっていく事が多い気がする。

セールに向いていない

 DMMブックスで「最大100冊まで何でも70%オフ」というセールが行われていたそうで、あちこちであれを買った、これがオススメという祭り状態になっていた。俺もなんか買うかなーと思っていたけど、結局買わずに終わってしまった。多すぎて買うものが定まらなかったのもあるけれど電子書籍のセールはいつも乗り切れないものがある、いや乗っかって買った事もあるんだけど。電子書籍に限らず服でも本でもバーゲンセールの時に店を覗きはするが買う事が少ない、何故だろう、店頭なら人が多くて嫌になったからという事はあるがネットではそれはないのに。バーゲンセールという形で店の思惑通りに買わされているように思うのが癪なのか、それはかっこつけすぎだ、だいたい先日激安だった『かりあげクン』全65巻(現時点)を電子書籍で買ったわけだし、『おとぼけ課長』も安くならないだろうか。

四月一一日、緑

 コーヒー豆を買いに下北沢へ行く。CUNEを覗こうと思っていたが閉店している事を前夜に知って、それでも跡地を見に行ってしまう。好きだけどなかなか手が出なかった俺みたいな人間が多かったのだろうか。焙煎した豆をピックアップして、電車で井の頭公園へ行き散歩。まだ四月なのに新緑眩しく、いい写真が撮れた。この後に会ったTに「モネの絵画みたいな写真でしょ」と見せたら、「いい写真だけど、モネは白内障でもやがかかっているよ」と的確に突っ込まれる。一時間ばかし駄弁って解散。夕食後、『ノマドランド』のフランシス・マクドーナンドが印象に残っていたのでAmazon prime videoで『ファーゴ』を見る。いつ以来だろうか、意外と覚えていた。オフビートのユーモア、まさに人間はおかしくて哀しい。

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四月一〇日、もう少し早く帰りたかった

 すぐやるべきなのか少し猶予があるのか、期日が曖昧な仕事があって週明けの自分に期待してもよかったのだが週明けは週明けで詰まりそうだったから少しでも進めておくかとぶらぶらと会社へ行く。こうやって自分の時間と体力を削ってうまく進めていくと、詰まった他の人の仕事が溢れてくるから困る。では自分もギリギリでやればいいかというとそれも性に合わないのでまた困る、だからいつも貧乏くじだ。などとも何百回と繰り返した愚痴を胸で繰り返しながら会社で作業、とりあえず今日の目標をクリアしたので帰る。夕飯は炊き餃子定食、うまし。

僕のあのマスク

 手元から頭痛薬がいつの間にか消えてしまった一件については以前書いたが、今日はマスクが消えた。昼飯で店に入り、喰うために外し、喰い終わって席を立つ際につけようとしたら、なくなっている事に気づいた。だいたいジャケットのポケットに突っ込んでおくのだが感触がない、他のポケットを漁ってもない、カバンの中も机の中も探したけれど見つからないのにまだまだ探す気で立ち上がって席周辺を見てもないものはない。そのうち店員がいぶかしげに「どうされましたか」と聞いてきたので説明。「なんなら店のマスクありますよ」と親切に言っていただいた、だが俺も予備一枚は持っていたのでそれで今日は対応した。母さん、僕の不織布マスクどうしたでせうね。ええ、春、ラーメン屋で油そばを喰っている時になくした、あのマスクですよ。♪ママー、ジョー山中の歌声が聞こえてきそうだった。

スピッツと赤い髪

 スピッツを聞いていたら唐突に中学時代のクラスメイトを思い出した、彼はスピッツが好きだった。“ロビンソン”がスマッシュヒットした当時、俺はスピッツとロビンソン、どっちがバンド名でどっちが曲名なのか知らないくらい音楽には興味が薄かった、本格的に音楽を聞き始めたのは高校からだった。だから彼が好きだといって魅力を話していたけれど半分くらい聞いていなかった、あれは悪い事をした、いまなら存分に語り合えるが会う事はおそらくあるまい。個性的な名前だったので検索したら見つかるかもしれないがそれはしたくない、したくないがちょっと気になる。そういった事をスピッツを流しながらカミさんに話したら、「高校のクラスメイトに『トレインスポッティング』が好きで髪を赤くしている子がいた。片田舎の学校で彼女だけだった。彼女だけはどんな大人になったのか気になる」と言った。スピッツが好き、映画の影響で髪を赤くした、自分の世界を持っているクラスメイトがうらやましかった、俺にはなかった、高校から世界ができ始めた。中学生の俺は周りからどう見られていたのだろう。自分でも本を読み始めた以外に特筆するところのない人間だったと思うが自分のイメージは自分ではわからない。

さみしさは鳴る、という

 カミさんがとても久し振りに会食で夜はいなかったので、一人で外でメシを喰って、猫しかいない家に帰り、ぼんやりと過ごしていた、これがちょっと楽しくて、ちょっと寂しい、猫がいるだけマシなのだが。一人暮らしの時は平気だったのにそれが寂しく思うようになったのは弱くなったと表現していいのかどうかはわからないけど、いまよりもカミさんといずれ別れた時に、離婚であれ死別であれ、その時はだいぶ寂しく感じるのだろうなともうそんな事を考える時があるのだが、カミさんは「私の方が龍さんより長生きするに決まっている」と根拠なく自信たっぷりに言う、そんな事を言えば言うほどいまは感じない寂しさが募っている気がする。