不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

一月二一日、リベンジ

 昼飯は以前行こうとして入れなかった店へ再び行く。その時は十四時直前に店の前に着いたら、まさにその時に店員が看板をしまおうとしていて、こちらに気づいて「ランチタイム十四時で終わりなんですよ」と言う。しかし我々が着いたのはギリギリでも十四時前のはずで看板も中には入っていない。ラストオーダーの時間があるというならまだしもあまりに杓子定規ではないかと思うが、店員が横柄だったわけではないしルールはルールとして諦め、本日リベンジだとちゃんとまだランチタイム内と確認して店へ向かう。鶏肉料理の店で、ここまでしたのだから半端な味は許さないと勝手にハードルを上げていたのだが、これがなかなかの旨さだったので、最終的には全て許してまた来ようと思う。この場合、リベンジは成功なのか失敗なのか、こちらの勝利なのか敗北なのか、いや、結局はうまいが勝ちだな。

 喫茶店へ行き、カミさんは仕事、私は読書。最近小説、特に長い小説が読めなくなっているので、ちょっと腰を据えて一冊とりかかってみる。カミさんの作業がひと段落するまでそこそこ読めたのでこのまま進めたい。食材を買って帰宅しようとしたら、肝心の味噌と醤油を忘れたので途中にある別のスーパーで改めて買って帰る。帰り道はずいぶん寒くなって、荷物を持つ手が痛いほどだった。

 夜は『新選組!』第三回を見る。

一月二〇日、彼女は言った

 カミさんが仕事なので今日も一人で映画館、本日の作品は『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』ハーヴェイ・ワインスタインの告発記事を書いたNYタイムズの記者二人の話。感傷を入れず坦々と、されど尊厳を傷つけられた被害者の傷と怒りに触れ、材料を積み重ねて報じるジャーナリズム映画としてとてもよい。冒頭だけで何が起きたのかを雄弁に語るような手際の良さが、緊張感と緊迫感を高めていく。キャリー・マリガンの呆れ顔がハイライト。邦題副題はともかく、「SHE SAID」(彼女は言った)という一人称と過去形が重い。過去に言っているのに。

 よくできているからこそ、ある記者の一つの行動が引っかかる。どうやら実際にしてしまったらしいが、劇中でも後から反省もしていたけれど、下手したら一つの家庭が崩壊していたわけだし、彼女がこの件についてその人物から問われるのはあまりに酷ではないか。また感想をちらほら見ているなかで、ブラッド・ピットへのもやもややホワイト・フェミニズムNYタイムズがワインスタインのセクハラを前から知りながらこれまで報じなかった事や社内で同じ構造でのセクハラがあった件などに触れていない事の指摘の他に、ミーガン・トゥーイーが反トランスの記事を書いていたらしいと知る(全て日本語の断片情報だが)。

 帰宅。夕飯を喰って今日は『新選組!』はなし。引き続き仕事をするカミさんの横でぼんやり動画を見たり漫画を読んだり。久し振りに頭痛がして薬を飲む。

一月一九日、モリコーネ

 『週刊朝日』五月で休刊の一報、『サンデー毎日』の方が早いと思っていたが「毎日新聞朝日新聞の後追いばかり」とも言われているのでこの件もそうかもしれない。どちらもほとんど読んでいないのだが(dマガジンでチラ見くらい)。仕事をするカミさんと別れ、ふらふら一人で外出。昼飯を喰ってから映画館へ行き、モリコーネ 映画が恋した音楽家を見る。150分と長尺だったので、事前にネットで見かけた「大福を食べると尿意を抑えられる」を試してみるつもりだったのだが(餅が水分を吸う?)うっかり忘れてしまい、結果一度離席した。

 タイトル通りエンニオ・モリコーネのドキュメンタリーである、監督はジョゼッペ・トルナトーレ。モリコーネが偉大である事のに何の異論もないけれど、他の映画音楽家の存在が皆無で、あたかも彼一人だけで映画音楽が切り開かれていったかのような展開はやや疑問もある。どの映画だったか、映画のシーンを見ながら即興(とは少し違うが)で演奏しているのを革新的であるかの如く描いていたが、その前にマイルス・デイヴィスが『死刑台のエレベーター』でやった事ではないのか。ジャズバンドとクラシックの楽団とは意味合いが違うものではあるけれど。

 だが、そういった疑問を振り払って余りある豊かな音楽の数々に、心底感動してしまった。中でも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のパートは危うく泣くかと思うほどであった。あくまで映画音楽家としてのモリコーネがテーマなのだろうが、もう少し彼の人生に触れてもよかったと思う。音楽家、トランペット奏者として、他のたとえばジャズやポップミュージックをどう見ていたのかなども知りたかった。出てくる人物がこれでもかと豪華で、ブルース・スプリングスティーンに少し驚いていたらジェームズ・ヘッドフィールドまで出てきたからさらに驚く。そのうえちらっとだけ出てきたメタリカのカバーがかっこいいでやがんの(ミューズもよかった)。それにしても若い時のイーストウッドはかっこいい。

 ドキュメンタリーとして150分はかなり長いが、長生きな上にずっと第一線にいたからかなりテンポ早く進んでいった。そのうえ音楽も映像も情報量が多すぎるので見終わったら疲労困憊。外に出てきていたカミさんと合流し、川魚料理屋で夕飯を喰い帰宅。昨日からスタートしたカミさんフェイバリット大河ドラマ新選組!』をDVDでいまさら鑑賞会、第二回目を見る。

挽いた肉

 昼に餃子、夜にハンバーグ、次の日の昼にシュウマイと続いたので「ひき肉ばっかり食べているな」と私が言ったら、カミさんに「好きじゃないってなんだったのか」と呆れ顔で返されて思い出した。同棲する時だったか、今後の食生活のためにお互いに嫌いな食べ物を伝える事にしてその際に私は嫌いなものの他に「ひき肉はそれほど好きではない」とも伝えたのだ。だがしかし、昔からハンバーグも餃子もシュウマイも肉団子もそぼろも好きで、キーマカレーだってあまり自分では選ばないものの嫌いではない、むしろひき肉料理は好きだ。いったい何がどうなってそれを選んで伝えたのだろう、全くもって謎である。おそらくカミさんはかなり早くから「言ってることちゃうやんけ」と思った事だろう、我が家の食卓にもひき肉料理は出ていたから。改めて、ひき肉は好きです、嫌いなものはここでは秘密です、まぁ声高に言う事ではない、好きな人にしたらいい気持ちではなかろうて。

良いものは良い

 例年、年末年始休みの影響で一月の仕事の進行はゴチャゴチャになって遅くなりがちなのだが、何がどうして、今年はスムーズである。幸先の良いスタートを切れそうでホッとしているが、スムーズだとミスがないかと余計な心配をしたり、今後悪い事が起こるのではと不安になるから困る。かといって駄目だったらそれはそれでうんざりしてダメージになる、どうしたら一番気持ちが落ちつくのかがわからない。良いものは良いのだ、良いのだから良い、と自分に言い聞かせておこう。

時間と空間が必要

 先日の診察で肺炎治療はとりあえず終了と相成った。咳喘息はもう少し様子見ようかとそちらの投薬はいましばらく続くし、肺炎も今回が終わっただけで再発の可能性はあるから十分気を付けるようにと釘を刺されている、「肺炎の咳がわかったでしょうから、これはと思ったらすぐに来てください」と医者に言われる。肺炎再発とはずっと付き合っていく事になりそうで、カミさんも病気を持っていて、一病息災だなと己に言い聞かせる。体力が減ってしまい、筋トレくらいやろうかと思うのだがやる時間と空間がない、まずは整理整頓か、それとも散歩でいいかな。

一月一五日、ユキヒロさん

 起きたら高橋幸宏の訃報が届いていた。闘病した事もあまりよくない状況にいる事も知っていたのに、訃報には自分でも意外なほどショックを受けた。もう記憶が薄いが、私が彼を知ったのは音楽でなくテレビ朝日の情報番組「AXEL」のはずだ、なんだこの全方向にセンスのいいオッサンは、というのが第一印象であった。YMOをちゃんと聞くのはもっとずっと後、たしか社会人になってからだが(彼が「教授」とあだ名をつけた坂本龍一は姉が好きだったのもありもっと前から長く聞いていた)、彼の音楽は聞いていた。それもソロではなくスケッチ・ショウ、pupa、そしてMETAFIVEといったプロジェクトが多かった。振り返ると、高橋幸宏自体を追いかけた事はほぼないのに、身近にずっといた気がする、好きなもののそばにこの人がいて気づけば好きになっていた。ヨウジヤマモトのショーの音楽もやっていたはず。喪失感が大きい。高橋幸宏の音楽を聞きながら仕事をしていた。


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