不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

一月一四日、ゆっくりにする

 昼少し前に出かけて、いつも混むお気に入りの店に開店と同時に入る、予想通りすぐさま混んでいく。数えてみたら十月末に来て以来だった、ランチが十二月より値上がりしていた。食後、ドトールでコーヒーを飲んでからカミさんと別れて会社へ行く。片耳で音楽を聞きながら(時折り両耳で)黙々と作業。体調がまあまあ回復しているのに加え、なるべく何事も焦らず、少し間を置いたり、動作を意識してゆっくりするようにしていて、そんな簡単な事が身体も精神も楽というか、軽くしている気がする、あくまで気だがそういった気分が大事だ。ゆっくりと音楽熱も読書熱も映画熱も出てきて、いつもうまくいかない一月にしては悪くない。

皆さんお大事に

 Twitterでもブログでも、体調不良だ、どこそこが悪い、病気になったという人を結構見かけるので、寒くなったり年末に一年の疲れが出たりしたからかなと思ったが、もしかしたらその人たちも私と同じように年を喰ったからではないかと気づいた。十年単位で(一方的にでも)付き合いがあるわけで、そりゃあ不調にもなる。一方で若者をあまり見かけないのは単にめぐり合っていないからかもしれないし、私の視野が狭いだけかもしれないし、Twitterやブログにいないからかもしれない、いずれにせよ縁がないならないで仕方がない、どこかで会ったらよろしく。「お世話になります」と「よろしくお願いいたします」は社会人になってから面と向かってもメールでも定型句のように長年使っているわけだが、最近これらをいかに使わずに失礼にならないようやり取りできるか、オッサンの無駄な挑戦。

「力が欲しいか(おもちを追加しますか)」

 久方振りに力そばを食べたのだが、「おもち」を「力」と言い切ってしまうのは、おもちの過大評価なようだが、しかし適格で言いえて妙な気もするしで、名付けた人の発想力とネーミングセンスに脱帽である。そしてよくよく考えれば、おもちを主食の中に追加するというのはなかなか高度な技ではなかろうか。おもち入りお好み焼き定食なんてものがあったら、主食に主食を追加して主食を喰うようなもので(関西人はどう思うのだろう)、もはやこれは「剛力定食」と名付けた方がいいのではないか。ここで力以外の言葉が出てこないのが私の限界である。

忘れていいけど思い出して

 二十年近く付き合いのある人から「君はいつからヒゲを生やしてた?」と聞かれたので、「初めて会った時からです」と教えたら驚かれた。驚きたいのはこちらだが、またかとも思った。日記に何度か書いているが、顔の印象が薄いらしくあまり覚えられない、ヒゲとメガネという特徴を持っているのに「ヒゲ生えてた?」とか「メガネかけてたっけ?」と言われる事多数、モヒカンにでもしたら覚えてもらえるだろか、しないけど。顔以外にもいろいろと自分の印象は薄いと自覚していて、果たして私という人間は誰かの記憶に残っている、また残るのだろうかと思う時がある。だが忘れないでくれと思った事はない、忘れていくものだ、私の事なんか忘れていい、そう思っているけれどここに書いている何がしかの言葉は、どこかの誰かがふとした時に思い出してくれないかなとほんの少しだけ願っていたりもする。

チョロい

 ある人が言った事にムッとしながらうんざりしていたのだが、その人から来た遅い年賀状に書かれた一言で「んー、まぁ、じゃあ許すか」という気分にあっさりとなってしまって、私はたいがいチョロいなぁと実感した。人がいいと言えば聞こえはいいが、甘いというか、弱いというか。己のチョロさを「自分の鈴虫っぷりが嫌になるな」(『水曜どうでしょう対決列島)と表現した大泉洋はさすがのボキャブラリーだなという、どうでもいい事などまで思ったりもした。

一月九日、静かに過ごす

 一日出歩いた翌日はいつもちょっと不調になる。まだ回復していないのか、二ヶ月も経ったのにと思うも、咳喘息を入れたら一年半の不調だったのだから二ヶ月程度で全回復するわけがない気もする、間に忙しかったり風邪をひいたりもしているのだから。どうも気が急いてしまう、のんびりやろう、明日からまた忙しくなりそうだけれど。だから今日は静かに過ごす。カミさんが仕事をするというので、別室で私もメールのやり取りなど少しだけ仕事をし、午後はTが「タリーズの新作を飲みに行こう」と誘ってきたので乗る、オッサン二人で甘いコーヒーを飲む。ペンタゴン・ペーパーズ暴露のノンフィクション『権力は嘘をつく』(亜紀書房)を読んだので、Amazon prime videoで映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を再見。

一月八日、ケイコ

 カミさんがあの店に行きたいと言うので立川へ行く事になり、ちょうどいいので映画も一本見る事にする。早速目当ての店で昼飯を喰ってから、昭和記念公園の無料ゾーンを一回り、何度か来ているがいまだに有料ゾーンに足を踏み入れていない、今年こそ入ろう。グリーン・スプリングス(という名前だと初めて知った)で茶を飲みながら読書、一冊読み終えてからシネマシティ・ワンへ。

 評判のよさを聞いていたのでスクリーンで見ておきたかった 『ケイコ 目を澄ませて』だが、予想以上期待以上、傑作、大感動。生活の中にボクシングがある事、光と音溢れる世界で音のないものがいる事、世界に美しさと厳しさとやさしさがある事。撮影、なかでも引きのショットがよすぎる。何となく小津安二郎っぽさもあったが、どうなんだろ。声なき彼女の声を、物見えぬ彼のために代読し、その時だけ流れる拙いギターとハミングのシーンはもう泣きそうだった。ラストの思わぬ交錯もまたいい。主演の岸井ゆきのはもちろん、三浦友和が演技うますぎる。それにしても昨年の取りこぼしで『RRR』と『ケイコ 目を澄ませて』をまず見たわけだが、この二本を超える作品が果たして今年公開であるのだろうか。

 ささっと夕飯を喰って帰ったら間に合ったので『どうする家康』もオンタイムで見る。いろいろ挑戦しようとしているのはわかるが、率直に言って第一回目はつまらなかった。一応もう少し、あと数回は見るつもりだけれど。