不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

はいしゃのしょうしゃ

 「検診に行け、行ったら何か見つかる、早期発見早期治療が一番」、そう母に言われて歯医者に行ったのが二十年近く前の事で、以来行っていなかったが、このたび親知らずがのびてきて、食べ物が引っかかるなど嫌な感じになってたので、昨夜思い立って予約し、年の瀬で暇な会社を抜け出して行った。担当医に「歯医者はいつ以来ですか」と聞かれたので「二十年ぶりです」と答えたら、「歯科恐怖症ですか?」と驚かれた。むしろ母方の家系が歯医者ばっかで身近でした。親知らずは年明けに抜く事になった。他の部分は歯石がたまっていたり歯周病なりかけのところはあれど「きれいな歯ですね」との事で、二十年前と同じだった。歯だけは丈夫で健康だ、有難い事である。誰にでも誇れるところはひとつくらいあるものだ。

冬至

 冬至なので柚子湯に入る。何故、柚子湯なのかが柚子が入った袋に書かれていたのだが、「融通がききますように」という願いが込められているとあり、単なる駄洒落じゃねえかと脱力したが、そもそも日本は駄洒落が多い、おせち料理はほぼ洒落だ。そういえば冬至にかぼちゃを食べる風習もあるがあれは何だと調べてみたらかぼちゃではなく「ん」がつく食べ物を食べるとよいという事から「南京(なんきん)」=かぼちゃになったそうな。では何故「ん」がつく食べ物がいいかというと、「ん」がつくものは運盛りといい、運を呼び込めるからとの事で、だったら「ん」ではなく「うん」ではないのか。料理のさしすせその「そ」だけ「みそ」と頭文字ではないのと同じくらい納得がいかないものであった。かぼちゃは食べなかったが、ちょうど夕飯が海鮮丼で「ん」が二つもついたので結果オーライ、柚子湯は気持ちよかった、柚子は二つあるので明日も柚子湯、そのへんの融通はきく。

終わりと散歩の途中

世界の終わりみたいだと言って隣にいる笑った彼女は世界の終わりが好きでそれはバンド名でも名曲のタイトルでもなく世界の終わりのような光景が好きなだけなのかと思ったらやっぱり本当に世界の終わりをどこかで求めているみたいで理由を聞くとだってみんな終わっちゃうんだからとケロッと言うから私もそれはいいなと同じように思ってしまった十二月のある日は意外と暖かくて散歩しているうちにたどり着いた場所が行きたかった場所なのだと信じて西に向かって歩いていったらそのうち世界の終わりのような光景は見えなくなってしまいだからといって世界が始まったわけでもなくいつまでも世界は途中のままで私たちは誰もが物語の途中で死んでいくのだというジョブズの妹の言葉を思い出したりしながら、

変化

 病院から戻ってきた虎猫と白猫は、まだまだ心配なところがあって油断はできないが、それでも少しずつ元気を取り戻しつつあって何よりだ。退院してきて明確に変化があって、白猫は餌を食べなくなってしまい、言うまでもなく身体に悪いので何か好きなものがないかといろいろ与えた結果、煮干しを頭から尻尾までガツガツと食べる事が判明。以前も好きではあったがここまでではなかった。虎猫も食欲はあまりないがそれ以上に変わったのは、私の部屋の隅っこのベッドが定位置になった事である。どういう心境の変化なのか、だいたいそこにいてスピースピーと寝息を鳴らしている、顔を見たらご満悦なので好きにさせている。大病患えば何かが変わるもので、カミさんもどこか変わったであろう、そういえば酒飲みだったのにぱったり飲まなくなってしまった、飲んでもうまくないとか。私はこれまで入院するほどの怪我も病気もないのだが、一度入って出てきたら変わっているだろうか。

一二月一九日、疲れ

 姉一家と毎年恒例になりつつある、飲茶食べ放題忘年会、たらふく喰らう。本屋に寄ってから茶を飲んで、おそらく会うのは年内最後だろうから「よいお年を」と言って解散。買い物しながら帰宅し、食べ疲れたのか炬燵で寝てしまう。さすがに腹は減っていないので、ポトフを軽く食べてからM-1グランプリを見る。今回はわりとおもしろいと思ったコンビが順当に点をとっていた、しかし応援はしていたけどまさか錦鯉が優勝するとは思わなかった。オープニングがドラマ性が過剰で鼻についていたが、見ての通り本編が一番のドラマなのだからこういうのはしなくていい。今日は食べ疲れ笑い疲れで、風呂に入る時にはぐったりしてしまった。

一二月一八日、昼風呂昼寿司

 カミさんが猫を病院に連れて行く間に、自室で昨日から溢れた仕事を処理、忘年会翌日の午前中に仕事をしていて何が忘年なのか。終わったら身体が冷え切っている事に気づいて、炬燵に入りながら白湯を飲むもあまり変わらなかったので思い切って昼風呂に入る。じんわりと痺れるような暖かさが広がっていく事で自分の冷えを再度実感する。一息ついてから外出。何喰うかなとぶらぶら歩いて結局寿司、昼風呂の後で昼寿司なんざ、なかなかいいじゃないかと一人ご満悦。散歩と買い物をしてから帰宅。夜は鍋、〆は相変わらずの雑炊フリースタイル。食後、何か見るかなとAmazon prime videoを開いたらカニエ・ウェストとドレイクのライブ映像があったので視聴、こんなものがすぐに見られるんだから地上波テレビの視聴率は落ちるわけだ。ラップだけで一人で広いステージに立ち続けるんだから、すごい。風呂に入ってから布団乾燥機を起動、もうこれがないと冬を越せない。

わすれないころしたい

 ここを三年前も歩いていたと思い出しながらの道のりで届いた姉からのメールは眉間の皺を寄せてイライラする代物で、それは姉本人ではなくそこに書かれていた内容によるもので、あまり白くならないため息を大きくつきながら会社の忘年会会場に着いた、三年前と同じ店だ。その三年前はカミさんが病気になってまだそれほど経っておらず、かつ仕事が無茶苦茶な状況になっていて、心身ともに疲れ切っていた。忘年会の翌日はまだ仕事があったのだが倒れてしまい一日寝ていた、その次の日には会社に行っていた、端的に言って狂っていた。だがこれで終わりだと思っていたら年明けからの三ヶ月がまた地獄のようであったのだから人生は多難だ、あれは人生において一番辛かった時期だったように思う。忘れられないだろうし忘れるものではないけれど思い出したくはないのだがやはり思い出して、そのうえ姉からのメールは放っておいた過去のツケのようにも感じられて、忘年会の日に過去に追いつかれたような気分になった。Kill the past,Jump over the ageなんて一文が頭に浮かんだ、過去は忘れずに、だが殺していく必要があるのかもしれない。