不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

0時過ぎ

 はてなダイアリーの時はたしか翌朝6時くらいまで「今日」という扱いの設定にしていたので、0時過ぎてから日記を更新しても「今日」アップした事になっていたのだが、はてなブログに移ってからは一応0時過ぎたらもう「今日」ではなく「明日」になり、字面だけ見ると当たり前の事を書いている、投稿日時を弄れば「今日」更新した事になるからそうすればいいんだけど、何となくそれでも0時までに、「今日」中に更新したいなと思うようになっていて、それは「今日」という時間を意識するようになったという事だろう。『それでも町は廻っている』に主人公の弟が生まれて初めて0時を迎えて今日から明日に跨いで、何やら衝撃を受けているシーンがあったけれど、俺はいつだったっけ、たぶん中学受験の勉強を始めた小学四年か五年くらいか、どんな気持ちになったのか、もう忘れてしまった。

生ハム

 正月に買った生ハム福袋、ついに全てを喰い終えた、ピッタリ三カ月、賞味期限もギリギリ切れず、まぁ封は切っていたけれど。そのまま食べるのを始め、パスタに混ぜたり、ホットサンドにしたり、チャーハンにしたり、今日最後の生ハムはおにぎりに巻いた、冷たいご飯より少し温めた方がうまい。十数年ぶりに買った福袋は大正解であった、来年もまた買おう、鬼が笑う。それにしても、前にも書いたが、本当に、最近は喰う事ばかり書いている、喰うために書いている、書くために喰っている、どちらも違う、喰って、書いて、書いて、喰って、生きている。

 わざわざ《元号で何をそんなに騒いでいるのかよくわからない》と書いておきながら、やっぱりそれなりに気になって、発表されれば同僚と話をして、騒ぎの一員となってしまった、俗物。元号発表以外では朝からひたすら仕事が詰まっており、予定されていたものもあれば急な来客もあり、夜には会食でとにかくてんてこ舞い、気分一新なんて事はなかった。会食の席では、コース料理で出れば喰うけど自分から注文する事はない程度に苦手な筍が、デザートを除いて七品中メインとして扱われた料理が四品も出てきて、味は違えど筍多いなと思った、カミさんに話したら「私は好きだけど、四品は多い」との事で、筍の在庫一掃だったのだろうか。

休日派散歩好き日記

 予定を決めていない休日はだいたい適当に映画を見に行くか、散歩をするか、のどちらかだ。今日は後者で、隣町に新しい古本屋が開店したと聞いたのでそこまでぶらぶらと歩き、さらにそこから駅の反対側にある餃子屋でメシを喰らい、電車で地元に戻り、買い物をして、遠回りをして公園の桜を見ながら帰ったら、何やら疲労困憊、昨日も結構歩いたが今日も歩いたからか。身近にメチャクチャ歩く人がいるのでそういう人に比べると俺なんて散歩好きとは言えないと思っていたけど、いや、それなりの散歩好きなのかもしれない。本でも映画でも量も質も桁違いの人を見ていると自分如きが好きと言っていいのかと思う、思っていいのだ、好きなのだから。炬燵で転寝。夕飯は肉無し豚汁、大根サラダ、そして五平餅。特設ブースで売られていたので。あとは特に何もせず、ぼんやり過ごして日曜終わり、三月終わり、平成はまだ少し続く、元号で何をそんなに騒いでいるのかよくわからない。

休日派般若日記

 「能面に色を塗りに行かないか」と悪友IZからメールが来たのはいつだったか、半月ほど前か、いろいろイベントに誘ってくれるのだが今回のはよくわからなかった、能面、に色とは? どうやらIZ宅近所で行われる花見イベントのワンコーナーとしてあるそうな。字面がおもしろいので誘いに乗った。現地に行ってみるとそのコーナーだけ少し奥まったところにあり、人はおらず、しかしもうできるというので席に着く。といっても、実際に作業するのはIZと息子くん、そしてカミさんである。俺は生まれながらにしてキュビズムというくらいの画力とセンスなので、試しにやろうかとも思ったのだが、何となく今回はやめてサポートに回った、横から口だけならいくらでも出せる。能面といってもミニサイズ、ブライスという人形の顔を加工したもので翁、般若、あと一つ(忘れた)の三種類から選べる。三人とも般若を選択。色はポスターカラーで塗っていく、指導として普段は特殊メイクの仕事をしている人がついてくれる。作業を始めればみな集中して、されどあれやこれやと話しながら続けていく。見ていて楽しそう、やっぱりやればよかったかなと少しだけ後悔。約一時間ほど。カミさんが塗ったものだけここに掲載。

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 兜をイメージして塗ったそうで、口の周りが黒いのは漫画の泥棒ではなく、マスクらしい。わからんではないのだが、どうしても兜の立体感が出ないものだな。

 昼飯は近くにあるハンバーガー屋に行く、うまし。そのまま歩いて駅まで向かい、解散かと思いきやこちらの時間つぶしにカラオケに付き合ってくれる。三歳児とのカラオケは何を歌うのが正解なのか、悩みつつ選曲したが、結局息子くんはリモコンとなるタブレットに入っていた子供用ゲームに夢中だったので、気にせず歌う事に。知らなかったがカラオケもこういうのが充実しているのだな。言われてみれば、密室で大声出してもOK、注文すればうまくはないが食べ物飲み物が来る、そしてゲームまであるのなら、子供連れに最適と言えるのかもしれない。

 IZ一家と別れて渋谷へ。表参道まで散歩し青山ブックセンターを覗いたりしてから池尻大橋に出る。ここ数年恒例の会社花見会、いつもなら中目黒から池尻まで桜を見ながら歩くのだが、カミさんが目を患っているのでそれはやめて直接店に。合流してから食事を堪能。早めに始まったので早めに終わってよかった。昼も夜もイベントで、いささか疲れてしまった。帰宅し、すぐに入浴、日記を書いて、寝る。

 明日はノー予定で、だらだら過ごす。

退職

 今月で退職する人の送別会に参加した。一身上の都合と聞いていたが、少し話を聞いた限りでは旦那さんか義理の家族からもっと働く時間を少なくしてほしいと言われたそうで、女性は家にいてほしいって事なのかなと推測したが、いや、俺は旦那の人となりも家庭内の事情も知らないのだから、勝手に決めつけてはいかん。先日退職した人は新しい会社で相変わらずらしい。カミさんも今月いっぱいで一旦退職になった、病気からの回復具合などを踏まえて会社と話し合い復職を約束してもらっての退職である。これがベストだったのかどうかは、まだわからない、なるようにしかならない。傷病手当金が出るので何とかやっていける、俺の給料だけで大丈夫だ、どんと来いとは言えない。こういうのを「甲斐性がない」と言うのだろうかと思いつつ、カミさんに「甲斐性がなくてすまん」と言ってみたら、「そんなものはいらない、病気になったのは私でいま世話になっていて有難いんだし。そういうふうにやっていけばいいじゃん」と言われる。確かにそうだな、やっていけばいいんだ。自分で言っておいてなんだが、甲斐性ってなんだろうな。

「プロレス」という文化/を語る狂ったやつら

 岡村正史『「プロレス」という文化 興行・メディア・社会現象』(ミネルヴァ書房。バレンタインデーでカミさんから「はい、チョコ」と言って渡されたのが本書であった、本物のチョコも別にもらった、ホワイトデーは何もあげていない、近々お茶をご馳走する予定。何せミネルヴァ書房である、この硬いタイトルからして内容も硬派だろうと思っていたが、確かに硬いものの興味深いものだった。

 第一章はロラン・バルトの「レッスルする世界」を論じているのだが、バルトが見ていたのはフランスのプロレスで、ではフランスのプロレスとはどんなものだったのかと続くのだ、これまでプロレスの本でフランスのプロレスを書いたものはなかったはずだ、そもそもフランスがかつてプロレスが盛んであった事すらそれほど知られていないのではないか。そして力道山(研究)について自身のフィールドワークも踏まえてたっぷり語り、日本プロレス史へと展開していく。

 タイトル通りあくまで「プロレス」という文化、という外観を論じており、プロレス(業界)内の話はあまりない。また、力道山については別に著書があるほどの思い入れがあるようで、熱く、厚く、語られているのだが、最近の話は結構薄味だし、力道山研究ほど食い込んでいない。たとえば細かな話だが、古舘伊知郎が「報道ステーション」でプロレスを扱えない事で葛藤はなかったのか、「2010年の山本小鉄訃報の時のみ悲しくも解き放たれた時間だったのかもしれない」と書いているが、同番組では橋本真也の訃報も扱っている(三沢の訃報は扱っていないはず)。何より古舘は良くも悪くも移り気のある人で、おそらくプロレスを離れてからはプロレスに興味を持っていなかったのではないか。他にも「プロレスと永田町」と題し、プロレスと政治家の関わりを書いた章があるが、いろいろな政治家のプロレスにまつわる発言を取り上げながら、おそらく現在の政界きってのプロレス好きである野田佳彦に触れていないのはいただけない。それ以外でも、特に最近の話の中では、ここは違うのではと疑問に思う箇所がないではなかった。

 本書がもっともスウィングしているのは第四章「プロレス文化研究会の言説」である。社団法人・現代風俗研究会のワークショップ活動として著者と井上章一らが旗揚げした会で、その活動内容を当時の資料や音源再生と共に著者自身のプロレスとの関わりを書いているのだが、これがおもしろい。中でも井上章一の発言がいい。これは活字プロレスだ、読ませる。笑いながら読んだところも少なくなかった。なかなか読み応えのある一冊だった。著者が言うように「類書のないプロレス本」と言えば言えるかも、ただそこまで突き抜けたところはなかったけれど。

「プロレス」という文化:興行・メディア・社会現象

「プロレス」という文化:興行・メディア・社会現象