不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

古い新品プリンタ

 二十二時過ぎ、あるデータをプリントアウトせねばならず、我が家から一番近いコンビニでも十分弱かかるので面倒だったのだが散歩がてらに行ってきた。家にプリンタがない。いや、実はあるのだが買ってからたしか二、三回くらいしか起動していない、それは引っ越し前の事だから最低でも五年以上前の話である。必要であれば会社ですればいい、仕事とプライベートの境目がザルなので何でもプリントアウトできる、だから家でわざわざプリントアウトしなくてもいい。フリーになったカミさんが家での作業で必要ではないかと思ったが、やや割高だがコンビニでできるし、そういった外に出る用事がないと引き籠ってしまうからちょうどいいそうである。とはいえ、数回しか起動していないプリンタを捨てるというのも勿体なくてなかなか実行に移せない、とはいえとはいえ、ではいまさら使い始めるのかといえばそれはない、そもそも動くのか。そういったわけで、いまだにプリンタが一台棚の上に置きっぱなしになったままである。本当にこれ、どうしようか。

待つ電話

 日記を書くかとページを開いたところで上司から着電があり、なんやろなと出たが応答がない。外にいるらしい音だけは聞こえてくる、何度かもしもしと言ったが何もなく、切れた。すぐにこちらから折り返してみたが今度は出ない。間違えて電話してきたのかなと思い、三十分くらい経ってから改めて電話してみたがやはり出ない。まぁ着信は残っているからまたかけてくるだろうと放っておく事にしたのだが、まだかな、今日はもうかけてこないのかなと何となく気になって電話をチラチラ見てしまい、日記に書く事も思い浮かばなかったのでこの事を書きました。

忘れていたわけではないよ

 昨日、カミさんが「花屋に行きたい」と言い、猫がいるからめったに花は飾らない我が家なので「珍しいね」と応えたら、「明日は何の日だっけ?」とジト目で言われてそこでようやく母の命日である事に気づいた、忙しくて忘れていたわけではない、当日になったら気づく。この日は毎年、大学の親しい友人からメッセージが届く、今年も届いた。そしてカミさんは会った事もない母に花を手向けてくれる、いつも感謝しているが今回は母があまり好きでない花がうっかり混じってしまったので怒られる気もする、そのあたりプレゼントだろうが贈り物だろうがはっきり言う人だった。昨年末に母の親友が亡くなって、まだあの世で二人で語らっているのではないか、「早過ぎない?」「あなたこそ」が最初の挨拶だろう。そういえば母が好きなビートルズの、ピーター・ジャクソンによるドキュメンタリーはDisney+での独占配信になるそうな、『ロキ』も見たいし加入するしかないかな。


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七月四日、ゴジラとコング

 投票へ行く。都議選が国政選挙の前哨戦と言われると「そうかなぁ?」と思う事が多いのだが、今回はコロナ感染対策や自粛やらとリンクしているところが多いのでそういう見方もわからんではない、ないが結局都民ファーストという国政にはない要素があるだけにやっぱり比較対象にはならない気もする。終えたらその足で駅前に出る。雑誌でよさげな台湾屋台風の店を見つけたので行ってみたら、これが大当たり、雰囲気やよし、味ももちろんよし。嬉しくなって最近の食事量を忘れて食べ過ぎる。ここはぜひまた来よう。ほくほくしながら本屋などで時間を潰してから映画館へ。ゴジラvsコング』。背景も説明も人間ドラマも書き割りでしかない怪獣歌舞伎、あるいはよくできた怪獣プロレス。ライバル物語として見たいものがあるので不満はないが、かといってそんなに満足もしなかった。香港なら壊滅させてもいいと中国当局が許したのだろうかと不謹慎な事も思ってしまった。それにしても、アメリカ人はコング贔屓ね。もう少しゴジラに肩入れしたってええんでないかね。帰宅。何故かだるくてしょうがないので昼寝。夕飯は手羽先スープのみ。都議選の結果を見ながら仕事の資料読みをほどほどに。何となく予想した結果に近い。

七月三日、夜散歩

 散髪を終えてから、下北沢にコーヒー豆を買いに行っているカミさんと合流。昼飯はどこにするかといくつか店をまわるが休みか満席ばかりで、こういう時は新規開拓だと目に入ったカレー屋に飛び込む、まあまあ当たり、また行くかどうかは微妙。吉祥寺に出てバーミヤンで仕事の資料読みなど。カミさんも仕事、ワーカーホリック夫婦、あまりいい事ではない。本屋や無印良品に寄って(何も買わなかったが)、帰宅。資料読みの続きをしながら、テレビの音楽特番を流しておく。こういう特番は知らない曲が聞けたり好きな歌手が出ていたりするのでつけっぱなしにする事があるのだが、いや今日のはつまらない。作りがチープというか、きちんと音楽を聞かせる気がないというか。途中でやめてしまう。久しぶりに夜散歩へ、この時期はまだ夜は涼しくていい。スマートフォンと鍵くらいで、あとは何も持たずに歩くのはいい、頭がクリアになる、混濁もする時があるが。歩きながら考える、考えながら歩く、あるいは考えるために歩く、そんな散歩をもう少ししよう。

当面はiPhoneだけでいい

 Apple Watchみたいなスマートウォッチはガジェットとしてちょっとおもしろいなと思うし、欲しいなと家電量販店に見に行った事もある。だが、本当にいるのかと己に問いかけると、いや言うほど欲しくはないかと考え直す。Apple Watchは一時間に一回くらい立ち上がれとか、体動かせとか、そういう健康管理的な事を言ってくるらしい。寝る時もつけて脈を測ったり眠りの深さを見たりするとも。大きなお世話だと思ってしまった時点で俺がつける資格はない。そもそも机で作業する時も寝る時も腕時計は外す、移動の時以外つけない。だからよく置き忘れる、なので最近はあまり腕時計をつけていない、つけていないといつの間にか時計の全部電池が切れていて、結果的に全くつけなくなる。そんな俺にスマートウォッチがいるのかといえば、いらないという結論にならざるを得ないのであった。しかし、俺がジジイになって仮に孤独死したら、Apple Watchが脈がない事を確認したら警察や病院に連絡がいくようになったらどうか、意外とありそうな未来な気がしてきた。自分の肉体が死後どうなるかはどうでもいいが、周辺の迷惑にならないのならそれはいいかもしれない、こんな後ろ向きな理由で買う気になるのもどうかと思うが。

やっぱり、おかしくて、哀しい

 本日『ファーゴ』シーズン3を見終えた。1と2は一人で一度見てカミさんと共に再見、3は二人とも初見。どのシーズンも生死があっさりしたものとして描かれており、映画のテーマ(キャッチフレーズ)である「人間はおかしくて、哀しい」が通底しているけれど、3は2010年が舞台でそれほど複雑でなくとも経済が絡んできて悪の様相が変わってきていた。悪は必ずそこにある、だが一方で善なるものとは言えないまでも悪ではない非日常的存在もふとそこにあったりする。そこらへんの塩梅が非常にうまくて、見ていて感心すらする。連続ドラマはいつも一話が薄く思えて、ある要素を引き伸ばしているかのように感じてうんざりする事があってあまり見ないのだが、『ファーゴ』はもともと余白や隙間が多いのもあってそこは気にならなかった。次第にその間によって善悪問答を問いかけているかのようになっていくからおもしろい。ところでシーズン4はもうできていて、スターチャンネルで先に配信されているようだけど、Netflixにはいつ来るのでしょうか。