不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

正直しんどい

 ピエール瀧の件はみなさんもうご存じかと思う。電気グルーヴピエール瀧も(そして石野卓球も)、ファンとまでは言わないけれど好きか嫌いかで言えば間違いなく好きなミュージシャンであり俳優だった、いや、それ以上にピエール瀧の自然体の遊びながら生きているともいえる姿や立ち振る舞いは憧れすらあった。その実まじめで結構無理していたからドラッグに手を出してしまったのでは、とも思うがまぁそれは勝手な憶測だ。とにかく、ショックといえばショックなのだ。何がショックなのか、俺は彼がドラッグをやってそうとは思った事がなく、あえて言えば彼らがやっているのは悪ふざけであり、ドラッグは明らかにその範疇から外れている。悪ふざけではないからやらないであろうと思っていたのにやっていた、それがショックだったのだ、たぶん。違うかもしれない。何だか自分でもわからない。音源や出演作品が封印されるといった話についてはまた別の論点なのでここでは書かない。ひと言だけ書けば封印はやり過ぎ、また復活するだろうけど。ここから「配信」と「所有」の話へと繋がっていくのだがそれはまた別の話なのでやめておく。

 たまたま同じ日に姉と「人間性と作品は、別と言えば別」という話をメールでしていて、我々の頭にあったのは眉毛兄弟ことノエル・ギャラガーリアム・ギャラガーで、彼らがバカで、ヤンキーで、大変な問題児である事は周知の事で、暴力事件も起こしているしコカイン所持もあったから迷惑被った人も多かろうと思うが、まぁしかし魅力は損なわれないよね、と話していた。それでも性犯罪や子供の虐待などとなると、それはちょっと何が何でも無理だね、とも言い合っていた。今回の件でピエール瀧が嫌いになったとか、魅力がなくなったとかはない。もちろん薬物に手を出すなんてバカだと思う、それはギャラガーズだけでなく、他のドラッグに手を出した人たち全てに言える。やめろ、身体に悪い、ただそれだけでやるべきではない。酒や煙草だってあれだけど、それ以上におかしな事になるのは明白だ、死んだら元も子もない。他には関わった作品や関係者に迷惑をかけた云々といろいろあるけれど、最終的には、きっちりケジメをつけて、更生して、一から出直して来い、俺は待っている、としか言えない。原田宗則の時と同じだ。

 瀧については上記の通りだが、俺が今回の件でしんどいなと思ったのは、前から言っているけどSNSである。俺の場合はTwitterなのだが、ちょうど菊池成孔氏がメールマガジンで「一番恐ろしいドラッグはアルコールで、2位のスマホが猛追している」といった事を書いていて、スマホというかつまりはSNSという事だと思う。こういった事件出来事が起きた時にTLを眺めていると、論点はメチャクチャだし、意見も玉石混交石メインだし、感情的だし、何がよくて、何が悪くて、自分がどう思っているのかがわからなくなってしまうのだ。だったら見なければいい、その通り、見ないのが正解なのだろう。それでもふと見てしまう事があるから菊池氏の言う「ドラッグ」という言葉が当て嵌まるのもよくわかる。

 俺の気持ちは俺のもの。他人に左右される事があったとしても、そうなのだ。今日はTwitterを見ない、そういう選択はありなのだ。忘れない様にしたい。

喰い過ぎ

 夕飯は自宅で、買っておいたココイチのルーを使ったカレー、揚げ物を駅前スーパーで手に入れて、それらと共に食す。これはこれでうまい、うまいのだが、店だったら米の量を少なめにしたりするのに、自宅だと何故か調子に乗って喰い過ぎて、喰い過ぎたのに食後にケーキまで喰ってしまい、腹いっぱい、苦しい。しばらく経っても苦しい。カレーの喰い過ぎってこんなに苦しかったっけ。

思い出した

 立ち寄りがあっていつもより15分くらい遅く家を出たら、明るいのに雨が降っていて、しゃあないなと傘をさして、今日はバスで行こうと最寄りのバス停まで行って、すぐに来たバスに乗って椅子に座って外を見たらもう雨は止んでいた、傘は結局その時だけ使った、自分が雨男である事を思い出した。晴れて、いい天気で、夕方会社を出たらちょうど夕焼けがキレイで、3月11日ってこんなに日が長くなっていたっけなと、いくつかの3月11日を思い出した。夜までかかった仕事を終えて家まで帰る時に、何となくこの歌を思い出して、鼻歌で歌いながら歩いて帰った。


斉藤和義 歩いて帰ろう

休日派腰なし日記

 起きて、カフェラテを飲みながら何するかなーと考えて、昼に見たい映画があった事を思い出して、予約して、用意して、出かけて、余裕で間に合うから歩いていける場所に映画館があるのは便利だ、今後もこういう立地条件のもとで暮らしたい、贅沢な話だが。見たのは『THE GUILTY/ギルティ』。電話がいかに便利で、限定的で、一方的であるか、沈黙がいかに雄弁であるかを教えてくれるワンシチュエーション・サスペンスで、抜群にうまくて、滅法おもしろかった。評判高いのもよくわかる。昨日今日でようやくおもしろい作品に出会えた。

 博多うどんにはコシがないと聞く、つまり軟いと。俺はどちらかといえば硬い麺が好きで、昼に入った店が博多うどんの店だったので、どうするかと考えた結果、冷たいざるうどんなら冷水で〆るから多少硬いはずだろうとあたりをつけて頼んだ。だが予想は外れ、冷たい腰のないうどんが出てきて、あったかいうどんなら結構いけるのだが(カミさんにもらった)冷たいと、正直、その、あまり、うまくない、正面で俺を見ていたカミさん曰く「見る見るうちに顔から表情がなくなっていった」、そんなにわかりやすいのか。しかしこの店、揚げ物などはかなりうまい、特にごぼ天。そして繰り返すが、温かいうどんはいける、出汁がうまい。だから俺のチョイスが間違っていただけだ。そうだ、俺は「初めて行った店で、俺が頼んだものだけ外れ(それ以外はうまい)」というジンクスを持っているのだ。回避し続けていたが、久々にやってしまった。このお店はまた改めて来なければ。

 古本と食材を買い込んで帰宅。自室で音楽を聞きながら読書。夕飯(りゅうきゅう、キャベツサラダ、白米、お吸い物)を食べて、カフェラテ飲みながらまた読書。風呂に入り、日記を書いて、本を持って寝床へ。明日から仕事が忙しくなる予定。気分は持ち直したけど、依然低いままではある、はてさて。

休日派ようわからん日記

 映画を見に行く気力がわかないというよりも、映画館に行く気力がわかない、休日に電車に乗って混んでいる都心に行く気力がわかない、せめて他に一つ二つ用事でもあればそのついでに行くのだが、最近は一つでも用事をこなせばもういいやと帰りたくなるし、そもそも用事を作らない。だから歩いていけるところにだけ行っていて、今日も近所の吉祥寺の映画館へ行くのであった。

 見たのは『サスペリア』。元の作品は未見。美術やカメラワークがよいものでウットリしながら、しかし全てが意味ありげに見えたのでわりと注意深くしていたつもりなのだが、結果、抜群におもしろかったのにさっぱり理解できなかった。みんなここで何が起こったのかわかったのか? こういうのは理屈ではないにせよ、筋はうっすら見えてくるものだが……。悲鳴はあるけど恐怖はない、現代のホラー。

 居酒屋で早めにメシを喰らって帰宅し、カフェオレを飲みながらNetflixでもう一本。配信されたばかりと思しき『セレニティー: 平穏の海』。マシュー・マコノヒーアン・ハサウェイが主演で、スティーブン・ナイトが監督脚本ならと思って選んだのだが、退屈でウェッティなサスペンス映画だなぁとぼんやり見ていたら、中盤で突如実存を問いかける、バーチャル・メタ映画に変容していき、は~~?? と驚いて、そのまま終わってしまった。何やこれ……。何を思って脚本を書き、監督したんや。詳しくは書かないけど、こういう映画ならこういう映画なりにやりようがあると思うのだが、たどたどしいままで。マシュー・マコノヒーアン・ハサウェイも特に魅力的でもないし、なんなんやこれ。評判どうなってんだろ。

 どうにも理解に苦しむ二本を見てしまった。入浴。日記書き。読書。寝る。

転送で余白なし

 後輩に会社のメールアドレスに送られてくるメールをGmailに転送する方法を教えてもらった、受けるだけでなく会社のアドレスとして返信する事もできるという。何て便利なんだ、と驚いたが、もうみんなやっているような初歩的な事らしい、もっと早く教えてくれよ。これで土日や代休の時に気にする事も、また長い休み明けに何か来てやしないかとちょっとドキドキしながらメールをチェックする事もない。安心、なのだが、どこにいても仕事のメールが届くというのも、嫌といえば嫌だな。「俺の時はもっとガムシャラに……」という労働武勇伝的な話を上司世代からされる事があるが、それは隙間の時間、待ち時間とか移動時間とか、そういうものがあったからやっていけたのだと思う。いまは隙間がない、余裕がない、空白がない、もっと余白をくれ、余白ある人生を送りたい、空白でもいい。

山田の引退

 飯塚高史は結局、引退試合でもウガーウガーと暴れ回って終わったそうで、引退試合の前でも後でも自身の引退に一言もコメントを出さずに去っていったレスラーは初めてではなかろうか、物語が続きそうな気配はあるものの、お疲れさま。

 飯塚の引退からそう間もない本日、あの獣神サンダー・ライガーが来年一月の東京ドームで引退する事を発表した。これはジュニアの象徴がリングを去るという意味でも、平成元年にデビューし、平成の終わり(まぁ来年はすでに平成ではないのだが)と共に去っていくという意味でも、正真正銘の一時代の終焉である事は間違いない。考えてみればライガー(というか山田恵一)は闘魂三銃士と同じ世代。橋本真也は急逝、蝶野正洋セミリタイア、武藤敬司こそ一応現役だがもうムーンサルトはできない身体だ。三銃士の中で早くに膝を壊して、引退するなら一番早いのではないかと思われた武藤が一番長く続けているのだから、人生わからん。ライガーだってマスクとタイツでわからないけれど、確実に歳を喰い、衰え、限界を超えたのだろう、本人も今日の会見で「もう伸びしろがない」と言っていた、プロレスに一本気なライガーらしいと言えば、ライガーらしい。

 いまマスクとタイツで衰えがわからないと書いたけど、振り返ってみればライガーのコンディションはいつも整っていた、大きな、致命的な怪我をした事はなかったのではないか。だから、常にリングにいた、そこにいた、ライガーがいる、そこに安心感を覚えたプロレスファンは多いはずだ、俺もその一人だ。とにかく存在感があった。もともとアニメから派生したキャラだったのに、いつの間にかレスラーの方がメインになってしまった、アニメを覚えている人の方が少ないのでは、キワモノになってもおかしくないのに、プロレスへの思いにより受け入れられ、誰もあのコスチュームに疑問を持たなくなった。それがプロレスファンだけでなく、一般の方々ですらもそうなのだから、凄い事である。ここまでお茶の間に浸透したレスラーはあまりいないはず。いまなら棚橋がもうそういう存在になっているか。

 リングの上でどのような事をしてきたかは、俺が書くまでもないだろう、各自検索でもしてください。この後、レスラーとしての総括めいた記事はいくらでも書かれるだろうし、動画で試合も見られるはずだ。とにかく80年代後半からプロレスを見始め、90年代にもっとも熱中した世代としては、(好き嫌いはあるとしても)ライガーは最大級の偉大なレスラーだと言ってもよいはずだ。それは新日にとってもそうだろうし、その証拠に10カ月の引退ツアー、そのゴールの引退試合の舞台としてアントニオ猪木以来の東京ドームを用意したのだ。最大級の見送りだろう。ちなみに長州力もやっているけど、「復帰しているもん」と除外したのは当のライガーである。復帰は絶対にしない、という本気度合いもライガーらしい。

 まだいくらでも書ける、何せライガーの三十年はそのまま俺のプロレス観戦歴になる。小橋と同じ、というよりも四天王や三銃士世代のレスラーはみんな俺にとってそうなのだ。そしてそういったレスラーたちがリングから去っていく、そういう時期に来ている。平成が終わる、一時代が終わる、俺の「90年代」が本当に終わっていく、俺の青春が終わっていく、これからもプロレスは見続けていくにしても「俺のプロレス」も終わっていくのかもしれない、まぁ、それでいいのかもな。