不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

輝くのは街ではなく/トラッシュ!−この街が輝く日まで−


 腐敗したゴミから腐敗した権力(精神)への痛烈な一撃。「この街が輝く日まで」という牧歌的副題がイラつくのは、『週刊文春』で中野翠が《舞台の大半がゴミの山。単純に生理的に辟易してしまった》と書いた独善性と同種のものだろう。たしかにこの映画は現実を切り取ったものではない。細部の甘い、いろいろと都合よい寓話でしかないと言える。しかしこのゴミ山で生きている人たちは実際にいるのだ。ゴミを漁る事で日々を生きている、だからといって卑しくはない。正しい事を求めている。大金を得てもゴミと同じようにその辺にばら撒くのは、彼らが拝金主義ではなく、金は生きる道具の一つであって大事なものではないとする姿勢そのものなのだ。少年たちの爽快さと、幼さ(事前の計画と正反対に行動してしまったり)、他人を気遣うやさしさ(乱れた神父の服装・カラーを直したり)、どことなく醸し出る色気など、見ていて気持ちよい。彼らは最後に街を抜け出し、新天地へ向かう。欲しかったのは金ではない。どん詰まりからの解放、それが輝いていた。