不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

今日は真冬のようだったけど

 明日になってしまったので昨日の時間にして投稿している今日はいつだ。そんな事を考えたら、《「明日こそは」と呟いて 泣いたのはおとといだった 明日なんかもう知らないよ 今日の勝ち》という甲本ヒロト必殺のフレーズを思い出した。


真夏のストレート - 甲本ヒロト

作家と紙幣

 唐突に出てきたと思われる新紙幣の話は、最初はあくまで案だと思っていたがどうやら決定らしく、いつもこういう感じで決定・発表されていたっけ、思い出せない。俺だったら誰がいい、これがいいと大喜利のように話題になっていて、俺もまた考えて一万円はゴジラ、五千円はガンダム、千円はアトムはどうか。アトムではなくドラえもんでもいい。いや少し偏りがある、ウルトラマン仮面ライダー、よく知らないがセーラームーンプリキュアといったものも考慮に入れるべきか。

 夏目漱石樋口一葉に続いて作家だったら誰だろう。自殺した人はおそらく駄目だろうから芥川龍之介はなし。軍人でもある森鷗外もパス。三島由紀夫は論外。谷崎潤一郎はギリギリセーフだと思うけど妖怪みたいなものだからな。たとえば明治期くらいで、政治色が薄めで、それなりにいまの世で知られている人、ということで思いついたのは石川啄木。啄木の金遣いを考えると、国民が金を遣うようになって経済が回るかもしれない、同時に借金を負うようになるかもしれないけど。

 俺は石川啄木が嫌いで、それは作品ではなく人間としてで、だがクズな作家はいっぱいいるし、そういう人にさほど嫌悪感も怒りも覚えないのだけれど石川啄木に対してだけは、なんやこいつ、と怒りすら抱いてしまう、我ながらよくわからん。石川啄木の作品自体は嫌いではない、というかむしろ好きなくらいだ。なんでこんなに嫌いなのかと評伝なり何なり読んでみようと思うほどなので、もはや嫌いなのかもわからなくなってきた。そんな啄木が描かれた紙幣ができたら、俺はどう思うだろう、やっぱり持ちたくないのか、それともその紙幣を集めてしまうのか。

葬式バイオリン

 通夜では読経の際に参席した人たちも声を出して読む、お経の合唱のような事になった。そういう宗派らしいのだが、当然みんなよく聞くお経の読み方をしていて、誰か一人くらい甲高い声だったりトンチンカンなイントネーションで読んだりしたらおもしろいのにと思った、俺はやらないが。葬式の方はいたって普通だったが、読経が終わったらバイオリンの生演奏が始まった。葬式でバイオリンは初めて、ジイさんが好きで頼んだのかと思ったらそうではなく、誰もが驚いていたという。本当か、いくらなんでも唐突すぎて怒る人がいそうだ、驚いているうちに演奏が終わって有耶無耶にしているのか、しかしその後も、納棺や棺を霊柩車に運ぶ際にBGMとして弾き続けていた。演奏自体はなかなかよかったが、変な気分のままだった。結婚式は個人の好みが前に出るものだが、通夜葬式は宗派や地域さが出るので、結構おもしろい、というと不謹慎かもしれないが、俺ならおもしろがって見送って欲しい、まぁ通夜葬式は生き残った者のためにあるものだけど。

なむなむ

 そういったわけでジイさんの通夜に来たわけだが、その場にいるだけといえばいるだけで特に何をしたわけでもないのに、とにかくやたら疲れた。今日はいいが、明日は葬式に出て、東京に戻り、夜は決まっていた仕事があって、乗り切れる自信がない。ないのだが、時間は無情に過ぎていく。せめて早く寝る。寝る。式場でバアさんに会って、とりあえず「お疲れ様でした」と言ったら、「72年間、お殿様の世話やったからねぇ」と笑顔で言っていた。長い、重い、一言。お疲れ様。

ジイさんと俺

 ジイさんの訃報で起きた。三週間くらい前に風呂場でコケて頭を打ち入院した、90過ぎている事を考えれば長くないかもとは思っていた。一方で頑健な人だからもつかもとも頭のどこかにあったけれど、そういう事になった。コケるまで食事もトイレも風呂も一人でできていて、入院の三週間で周囲の人間がいろいろと準備できてからの死去と考えると、お見事な去り際と言える。まぁ我がままな人だったらしく一緒に住んでいたバアさんは生活面で大変だったそうだから、そんな美しくもないのが本当のところなのだけど。94歳、まるっと昭和と平成を生きた事になる。

 俺はジイさんの事をほとんど知らない。名前は知っている、誕生日は忘れた、どんな仕事をしていたのかはうっすら知っている、趣味はたぶんゴルフ、好物は知らない、戦争に行ったのかも知らない、その他のパーソナリティは何も知らない。ジイさんはジイさんで、俺の事は息子(親父)から聞いているだろうけど、たぶんそんなに知らない、プロレスやカレーや映画が好きだなんて知らないだろう。

 かといってジイさんと冷え切った仲だったかというと、そうでもない。会いに行っていたし、顔を合わせれば笑顔で、普通に会話をした、二人っきりになっても話題がなくなって静かになっても別に気にならなかった。ジイさんも俺も、祖父で孫という関係以外にお互いに興味がなかったのかもしれない、それだけの関係、と書けば冷たく読めるが、それだけでも関係は関係で、俺たちの適切な距離がそれくらいだったのだ、たぶん。書きながら勝手にそう思っただけで、いまとなっては、いや、仮にいま生きていてもそんな事は絶対聞かないから、永遠にわからない。

 ジイさんの訃報を聞いてショックはないし、悲しさも寂しさもない。自分が薄情なのか冷たいのか仕方ないのかと思っていたけど、その後なんとなく落ち着かずにそわそわしていた。夜にライブに行く予定だったが後輩にチケットをあげた、明日の朝早いからという理由もあるが、やっぱり行く気分にならなかった。

 誰かが亡くなるたびに、俺は松尾スズキの《ほんとの供養は葬儀に参列して泣くことじゃないと思っている。彼女と俺の関係の記憶を自分の心の中の墓地のサイズにおさまるようデザインすることだと、思う。俺には宗教がないのでそうするしかない》という言葉を、俺の心の中の墓地に刻む。俺は明日の通夜だけ参席し、明後日の葬式には仕事があるので出ないつもりだったが、間接的にジイさんが「(姉と)龍に出てもらいたい」と言っていたと聞いた。本当かどうかは知らない。そういう事を言いそうな人なのかどうかすら知らないのだから。だけど、俺とジイさんの関係として、俺の中の墓地のサイズに収まるために、参席しようと思っている。

サクラチレ

 冬が季節で一番好きだが最後の方は空気が重たくて早く春にならないかなと思ってしまう、日が延びたり、コーヒーミルに挽いた豆がひっつかなくなったりして冬の終わりを感じ、桜が咲いた時のパッとした明るさで春になったのだとよくわかる。ご多分にもれず桜は好きで花見もするけど、その咲きかた散りっぷりにいつも少し急き立てられているような気になって、ふと早く散ってくれないかなとも思ってしまい、そのたびに桜の花に謝っている、今年ももうすぐ散り出すだろう。

昨日の続きといえば続き

 カミさんは高校の時に友人とある夜、駅に着いた時、ホームの電光掲示板の次の電車が来る時刻「20:××」という表示を見て、「今日はあと4時間しかないのか」と衝撃を受けたという。俺は一日三食、味覚がそれなりに定まる15歳から健康的に喰えるギリギリとして75歳まで喰い続けるとして、全部で65700食しか食べられないと計算した時に衝撃を受けた。数字にするとギョッとする。ここからさらに何か書こうかと考えていたが思いつかず、0時が近づいてきたのでここで終わりです。