不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

間違っているかもしれなくても

 姉一家がそうだし、仕事相手もなったし、愛読しているブログの方も例のウイルスに罹った、またもや感染拡大中らしいがニュースや新聞でもほとんど報じられない、それでも周囲で感染する人が増えていっている。いつかそのうちカミさんや私も罹るだろうと覚悟はしているがとりあえず難を逃れている。海外でも同じような状況のはずだが伝わってこない、このまま全世界がなあなあとウイルスと共存していくのだろうか、弱毒化しているならそれでもいいが罹ると結構大変とも聞くので楽観はできない。医学の発達次第なところもあるか。米大統領戦で民主主義、コロナで医学、安倍暗殺で人の死への姿勢、旧統一教会で信教の自由、ウクライナ・ロシア戦争で安全保障、処理水放出で科学ーーといった、これまで我々が積み重ね、大事にし、信じてきた理性・知性の底が抜けていくのを目の当たりにしている気がする。処理水放出に関しては「科学的根拠があるならよい(推移は見守る)」「政府は最大限のフォローを」「メディアこそが風評被害を防げ」というのが私のスタンスである。もちろん政府も組織も嘘をつき、ろくな事をしない面が(よく)あるのも知っているし、科学が(化学、医学も)新しい説によってこれまでの説が覆る=これまで間違っていた事が往々にしてある事も知っている。だが、「間違っているかもしれない」からと、動き続ける現実に対応せず停滞してしまうのは、それはもう一つの間違いであろう。『PEANUTS』にこんな回があった。

ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。)

スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

 カードの交換ができるかもしれないし、勝負から降りるのも手ではある。しかしどれもこれも「配られたカードでの勝負」なのは間違いない。人生は勝負と選択ばかりである。つくづく『PEANUTS』は人生を教えてくれるな。