不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

四月一日、ボウイ

 出かけるカミさんを見送ってから居間で何かするわけでもなくうだうだと過ごし、昼過ぎに外出。昼飯時のピークは過ぎているだろうと思ったらどこもかしこも列ができていて、結局すぐに入れたのは天下一品だった、好きだからいいんだけど。エクセルシオールでレモネードソーダと共に読書。私と同じ吉井和哉ファンであるTと待ち合わせて映画館へ行く、友人と映画鑑賞は久しぶりではないか。

 見たのはデヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』。私が憧れる事もできないほどかっこいいと思う吉井和哉がなりたかったデヴィッド・ボウイは、帰る場所を探し続ける寄る辺なき者であった事を音楽と本人の言葉で紡いで見せる。オンでもオフでも、どこで切ってもひたすらフォトジェニックであるその外見がまた寄る辺なさそうであり切ない。吉井とボウイの違いを言うなら、孤独でいられるかどうかであろう。吉井は寂しがり屋だからバンドでないとたぶん生きていけないけれど、ボウイは孤高でい続ける、伴侶がいてもそうであったように見えた。

 映画はボウイの生涯をなぞるドキュメントではなく、彼の存在・音楽・思想・言葉などを題材にしたアート作品に仕立てており、正直言ってそれは成功しているとは言い難い。情報量が多いのに整理されておらずパンク気味で、実は疲れてちょっと寝た。もう少し年月や具体的な音楽の変遷に触れてもいいはずだし、違和感を覚えるところもあってたとえば本作では『Let's Dance』は大成功で世は事もなしといった描写だったけど、その反動でハードロックテイストのTin Machineを結成したはずだから(そして失敗。私は結構好き)、この描き方でええのかなと。やや監督のボウイ愛が自家中毒気味。それでも音楽は最高だし、どっぷり浸かれた、ボウイはもちろんブライアン・イーノイギー・ポップなど関係した音楽も。

 夕飯、コーヒーと共に感想戦をして解散。風呂から出たらカミさん帰宅。