不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||/君と僕に祝福を

(見終えた直後の乱筆乱文御免、言うまでもないが内容に触れている)

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 とりあえず休みになったらいの一番に行こうと思って、修羅場明けの本日馳せ参じた。ネタバレなどはほとんど踏まずに鑑賞を迎えられたわけだが、それでもネット上の(何よりカミさんの)「終わった……」という雰囲気は十分伝わっていたのでそれを踏まえてのものであったが、まさに完膚なきまでに終わらせていて、思わず拍手でもしそうになってしまった、よかった。もう少し詳しく知りたいと思う箇所はいくつかあれど、ネットに多数あるだろう解釈や読み解きなどは別に読まなくてもいい、他人の感想すら別にいいやとすら思った(それでも好きな人の感想は読むけれど)。それくらいの終わりだった、そしてそれはすばらしい事だと思う。

 俺は庵野秀明の個々の作品も好きだけどそれ以上に彼の演出や筆致が好きだったのだが、『シン・ゴジラ』のたしかスタッフ顔合わせの時の挨拶で最後に「とにかくおもしろい映画を作りましょう」と言っていたのを見てからそれは信頼へと変わった。本作でもおそらく現在の最高峰の技術を集めて、可能な限りの金と手間と暇をかけて、より新しくおもしろい作品に仕上げようとする気迫が感じられた。実際見てみれば細部にまでこだわった描写と演出で魅せられた、それだけで待った甲斐と銭を払った価値があった、死ぬ前に見れてよかったなと思うくらいに。

 そしてそんな中で「現実と虚構を同時に認知できるのは人間だけだ」(うろ覚え)というセリフが出てきて、実写を取り込んだような技術だけでなくここからメタ的な要素も入っていくんだろうなと思っていたらまさにそうだったのだけれど、こんな複雑歪な形で作品の内外にケリとつけようとしているのがまたおもしろくて、まぁジジイの世迷言のような長々した独白には皮肉を込めて笑いそうになったものの、それとは違う意味でずっとニヤニヤしながら映画を見ていた。

 物語自体に言う事は特にない。テレビ版、旧劇版、漫画版、そして新劇版、ゲームや小説なども入れればたくさんある「エヴァンゲリオン」の中で本作はケジメをつけるという意味の終わり方をしただけである。誰が誰とどうなったかはどうでもいい、わけではないが、彼らは彼らなりの作品内外の歳月と共に関係と感情を紡いできたはずで、言い換えればその時の選択をし続けてきたのだからその選択の果てに辿り着いた結果(そしてそれはまだ過程でもある)として祝福すべき事なのだろう。言葉にできない事もあるけれど、やっぱり言わなければ伝わらない、俺はシンジとアスカがああいう言葉を言い合った事を心からよかったと思う。

 すばらしい宇多田ヒカルの曲以外に見終わって浮かんだのは(例によってまたこの人なのだがファンなので勘弁していただきたい、言い訳がましい)吉井和哉の”BELIEVE“である。活動休止していたバンドを正式に解散してから発表された再出発のアルバムの最終曲。過去は否定しないが美しくともそこは通り過ぎた景色、今を駆け抜けたいという意志の表れ。あの海辺のシーンの絵が変わったところでおそらくこの世界は終わり、その後はまた違った選択肢の物語なのだろうと俺は思っている。選択肢があるとは可能性があるという事。人によっては唐突にも思えるかもしれない手を繋ぐ相手は、新たな選択肢と可能性そして新たな物語の始まりであり、言い換えれば希望を高らかに掲げているように見えて、電車に乗る彼らと訣別して、シンジが「さあ行こう」と手を差し伸べて駆け出す瞬間は本当に心動いた。

 でも、やっぱり一発は碇ゲンドウを真正面からぶん殴ってほしかったけどね。

I BELIEVE IN ME 振り向いても
後ろには通り過ぎた景色があるだけさ
I BELIEVE IN ME
どうにもならない
とは思わずに
今を駆け抜けたい


BELIEVE - 吉井和哉


宇多田ヒカル『One Last Kiss』