不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

五月二五日、解除

 いつも通勤ピークから外れた時間帯に出社しているが、それでも人が増えたなとわかった。出勤うつというハッシュタグを見かけて、この事態で自殺数が減ったのは通勤がないからではないかという説もあるのだからあながち大げさではないかもなと思った。かく言う俺は結局在宅勤務は三日しか行わず、お試し期間にもならなかった。上司が「在宅になれちゃったな」と言っていたが、なれるような時間ありましたっけと言わんばかりに真顔で見つめてしまった。会社は六月から在宅勤務メインから通常に切り替えようとしている、時短は続けるようで、気が抜けない事態は続くからいい判断だと思う、もっとも俺の部署には関係がない話なのだが。

 仕事をこなして、さてぼちぼち帰るかなと用意していたらテレビで首相会見が始まるというので少しだけ見ていたが、会見で聞くよりもあとで内容がまとまった記事を読んだ方が手っ取り早いなと途中で帰ってしまう。どの報道でも「緊急事態宣言解除」と書かれているが、「緊急事態である事を解除する」ならわかるけど「緊急事態である事の宣言を解除する」のはよくわからない。一応「宣言」には表明した事だけでなくその内容も含まれているそうだけど。「宣言」という字面や音を見ると坂口征二のタイトルマッチ宣言を思い出す。テレビ中継では選手のコールが終わった後に行われるのだが、坂口が「せうげう(宣言)」と言ったところで必ずCMに行ってしまうので、宣言の先を聞いた事がなかった。

 緊急事態宣言を解除したところで全ての事態が元に戻るわけはなく、むしろ緩やかに続いていく。正直言って、いまどういう事態なのか、いつ終わるのか、政府であれ個人であれこの対応の仕方は正しいのか、そもそもこれがどんなウイルスなのかは、もっとずっと後になって研究の末で判明する事なのだろう。個人的には今回の事態に対してはその都度いくつかの専門家による記事を読んで、相反する意見も見ながらも自分なりに咀嚼して「こういう事なのかな」と把握する以外になく、注意したのは自分が納得できる意見だけを求めない事と陰謀論に走らない事。『専門知は、もういらないのか』*1という本を読んだが、本当に専門知が軽んじられいる。何故素人がそんなふうに言えるのだろうと不思議に思う事が多々あった。

 率直に言ってTwitterなどSNSはコミュニケーションツールとしても言論空間としても機能不全に陥っていると思う。いや、もともとそんなツールでも空間でもなかったのかもしれない。俺だって独り言のための場で、たまに溢れた独り言でやりとりするくらいのつもりだった。ならば、他の人だって独り言として好きにやればよいはずだろう。だからやめてくれなんて言わないし、思ってもいない。ただ、公言する事の意味や重みが失われているようには見える。自己責任という言葉はたいそう嫌われているし俺もあまり使わないけれど、責任ってないのか。言葉が軽んじられている、政治でも、社会でも、ネットでも。俺がきちんと重じてしっかりしているというわけではなく、とわざわざ留保をつけてしまうのも何なのだが。