引き続きツイート自動生成プログラムでちまちまと遊んでおり、気に入ったのが十個ほどたまったのでまたここに放出する。これらを見ていると、俺が日々書いている文章や使っている言葉はもっと自由でもいいよなと思う。
ポリティカル・コレクトネスをああやって軽やかに扱うのはいいけど(俺もそう)、(ある意味でカルト宗教っぽいけど)、俺はドラマの時間の流れから解放され超越する死者の見た景色。
姉から「『コクソン』ってこわい?」と言われたらしく、カミさんに「これ、大根もちじゃなくて、チャーシューじゃん!」と言っているのか、いまだに知らんが。
「穴を掘る」とか「雷神様の恋」とか、そういう店名だと、家庭料理が看板にあります」と言うと、「いや、おーしーえぬ」
それでもこの後の歴史を思うと苦さがあった方がいいと思う。
「誰もがわかっているのかよ!」が始まり》と言っていて、パスタが好きだから」。
音はとてもいいけど何を言っている声は、いつ聞いても妙に切ない、涙が美しい。
抜け出した(寿司全種類とカレー二杯喰って、何かしたっけと考えながら)「何?」
それだとあなたが帰ってこないものだな
この文章だけなのかもしれんが、でも昔みたいに気持ちが辛くなることはない。
それはそれとしている。