不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

その人と

 その人と話した時間は数年間で二時間もない、下手したら一時間くらいだろう。書類にハンコをもらう時の二、三の会話、たまに会社のどこかでバッタリ会った時の挨拶程度のやりとり、それだけだ。病気になった事、あまり具合がよくない事は知っていたが、先日まで一人でスタスタ歩いて帰っていっていたし、部屋から漏れ聞こえてくる打ち合わせの声はハキハキしていたので、突然いなくなったと言われても実感がない。またスタスタと歩いて部屋に入ってきそうだ。業務時間後、いなくなった机の前で多くの人が献杯しながら思い出話をしていた、酒が飲めないしこれといった思い出話のない俺は、周辺からその光景をぼんやり眺めていた。唯一あるといえば、ハンコをもらうために訪ねたら、机の上に『夫・車谷長吉』が置いてあって、ちょうど俺はそれを読み終えたばかりだったので「いいですよね」と何も考えずに言うと、おうと言うように顔をあげて「まだ読んでる途中だけど、なかなかいいね」とうっすら笑って応えてくれた事。それだけがその人と俺の思い出だ。