不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

休日派試し打ち日記

 世間は三連休だが、こちとら三連勤で、さらにこの後の臨時仕事も決まっているしで、忙しいのが確定してしまっているのだが、忙しいからといってやる気が出るわけでもなく、とはいえ仕事は目の前にあるから頑張るしかない、労働労働、夜まで仕事、明日も労働、明後日も、そしてその後も……。
 今日あえて特筆する事があるとしたら、この日記をiPadで書いた事くらいか、初の試みである。といっても有線のキーボード、Bluetoothだとタイムラグが出て嫌なのでわざわざ有線にした、で書いているからいつもと変わらないといえば変わらない環境ではあるし、キーボードになれておらずいつにも増してミスタッチが多く、そのため書き進めるのが遅い事くらいしか違いがないので、読まれる方にとっては取り立てて変化がないように思うので、気になさらずお読みください。
 以前、筒井康隆があるテレビ番組で「手書きからキーボードに変えたくらいで文体が変わるわけないだろう」「変わるなら有難い、こっちは文体をいかに変えようかと四苦八苦しているのだから」と一刀両断していたのだが、いま出ている『群像』の蓮實重彦との対談では、大江健三郎が手書きである事が話題になっている、ここでは蓮實が《我々がワードプロセッサーというものが持っているにせの勢いについ乗せられてあっさり書いてしまうところを、大江さんには絶対に乗せられずに、作家としてこらえておられる》と述べているのだが、筒井はそれにはあまり応えておらず、実は内心手書きかどうかなんてどうでもいいと思っているのではないか。
 俺がこれまで読んだ回想録や交友録で大江健三郎が出てくると、作家/作品の評価は抜群に高いのだが(俺はいまだに理解不能で、全小説を買う気はないが、このタイミングで再び挑戦しようかとは考えている)、人間性はひどくて批判されてばかりだ、彼の事をよく言っている人はほとんどいないので、よほどの人柄なのだろうなと思っていた。しかしこの対談では二人とも褒めているんだな、と最初は思っていたのだがよくよく読んでみると二人とも全然褒めていない。人間性ではないけれど、二人とも戦後民主主義に懐疑的なのに大江は信奉しているのを不思議がりながら、蓮實《そうした政治的な立ち位置とはまったく無縁に、大江文学はやはり偉大なんです》と言うので、何だかおかしい。それ以外でも、二人が合っているようでズレていて、妙におもしろく、ちょっと挑発的ですらある対談だった。
 といった無駄話を試し打ちで書いたところで、今日の日記は終わりです。