不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

最近読んだ小説

 長嶋有『もう生まれたくない』(講談社。随所に訃報が出てくる群像劇。不意打ちのような訃報は死生観とは言わないけれど生活に静かな波を立たせ、過去から現在という時の流れに補助線を引いて見直しをさせる。死の喪失感や宗教的救済ではない、いかにも長嶋有的と言える俗な死の掴み方。俺はここに出てくる人物や事象をリアルタイムで知っていたり、ある程度の理解もあったりするから、物語を近く感じたけれど、たとえば十代、はたまた六十代くらいの、ズレた世代の人が読んだらどう思うのだろうか、聞いてみたい。最近の長嶋有の小説はいいですね。

もう生まれたくない

もう生まれたくない

 今村夏子『星の子』(朝日新聞出版)。年齢に応じた視線の動きと心の揺れの描き方が抜群。信仰そのものではなく、普通と思っていたものが歪なものだったと気づいた時に、信じる/信じない、信じたい/信じられない、見る/見られる、選べる/選べない、という境界線をどう超えるか、超えられるのか。日常に潜む不穏なものが目に見える形になっているだけに、ずいぶんわかりやすい構造になっていた。それがいいかどうか。個人的にはちょっと薄味に感じたが。次は未読のまま置きっぱなしになっている『こちらあみ子』にようやく手を出してみようかな。
星の子

星の子