不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

マグニフィセント・セブン/俺たちの夜明け


 言うまでもなく『荒野の七人』、そして『七人の侍』が元になっているわけだが、二作とも見ているけれど前者はあまり記憶がなくて、見ておけばもっとオマージュネタなどが楽しめたかもしれない。後者はよく覚えていて、そのせいか時間が経つにつれデンゼル・ワシントン志村喬に見えてきた。
 闇であれ夜であれ、深く艶のある黒色に魅入ってしまう。そんな黒の中で生きている寄る辺なき者たちが死に場所という居場所を求めた先にあったのが夜明けの光であり、その眩しさに目を細めるしかない道から外れてしまった異端児たちによる壮絶な戦いに心鷲掴み。戦いの場面は血が騒ぐほど興奮したけれど、絶対に敵味方の区別がつかなくなって間違えて撃っちゃったやつがいるのではないか。あれはわからん時があるよ。西部劇の銃撃戦を見るとアメリカ人の中にも騎士道精神があったのだろうし、自動銃開発など機械化がそういった精神を駆逐していき、さらに先にあるのがドローンなのだと、そんな事まで思いをはせてしまった。
 南北戦争という内戦で分断されたアメリカを資本家バーソロミュー・ボーグ(ピーター・サースガード)が金とヘイトの感情を使って民や土地を蹂躙していく様や、死んでいった者は「銃に触った」ジョシュ・ファラデー(クリス・プラット)、「荷物を盗んだ」ジャック・ホーン(ヴィンセント・ドノフリオ)、「因縁をつけられた(喧嘩を売られた)」ビリー・ロックス(イ・ビョンホン)、グッドナイト・ロビショー(イーサン・ホーク)など、みな降りかかる火の粉を払っただけとはいえ私闘として人を殺しており、それは因果応報というよりもある種のアメリカの整合性を保っているようであった。
 一方生き残ったのが黒人サム・チザム(ワシントン)、メキシコ人ヴァスケス(マヌエル・ガルシア=ルルフォ)、インディアンのレッド・ハーベスト(マーティン・センスマイヤー)、そして女性のエマ(ヘイリー・ベネット)という光景を見ると、アメリカという歴史を皮肉っているかのように見える一方で、これから始まる2017年のアメリカを踏まえて作られたかのようにも見えて、夜明け前は一番暗い、いまがその時かもしれないね、と無責任に言葉をかけたくなってしまった。
 人物造形や関係は見応えがあり、彼らの前日譚が気になってしまう。多くの人がそうだろうが、やはりグッドナイトとビリーがいい。イーサン・ホークの持つ枯れたメランコリーとそれをキックする演技は磨き抜かれていて(『ブルーに生まれついて』のチェット・ベイカーがその最たるもの)、またもやクールガイにさせられたイ・ビョンホンはその憂鬱な光を受けとめていて今作ではなかなかよかった。
 余談だが、変な邦題にしたり余計な副題をつけたり、日本人誰でもわかる「silence」という単語を『沈黙』にした上にわざわざ「サイレンス」と謎の付け加えをしたりするのに、何故本作「The Magnificent Seven」は『マグニフィセント・セブン』のママだったのだろう。マグニフィセントなんて単語をパッとわかる人はそれほどいないはず。これでいいのなら、他の作品もママでええやんね。