不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

真実は有耶無耶/ソロモンの偽証 前後篇


「前篇・事件」。前後篇に分割してもなお120分をかけるだけある、濃密な時間だった。大人も子供もたしかな演技で底を押し上げており、演出も的確。それでいて内実はサディスティックな幕で絶妙に覆い隠しているのがまた巧妙で、真実を暴くために荒れ狂うであろう後篇を楽しみにしていたわけだが……。
「後篇・裁判」。期待しすぎた、かな。真実を暴くのではなく、真実に近づくためその間にある壁を証言や証拠で崩していくのが裁判であって、それを映画の主体とするのなら証言者たちに質問を打ち込んで追い詰めていかねばならないはず。前篇で見られたサディスティックさはここで発揮されるのだろうと思いきや、懺悔のような告白ばかりで、さらにそれをあっさりと受け入れるものだから拍子抜けである。中学生にはそれが限度なのかもしれないが、学校内裁判という一種狂った舞台装置があるのだから、14歳が大人たちを打ち抜く姿を見たかったのが正直なところである。
 何よりの不満はキーマンである「柏木卓也」のパーソナリティが最後まで不明だった事だ。彼・彼女らの思い出にいる柏木少年は、あたかもジョーカーような存在で、しかしそれはファンタジーにしか見えず、後編では彼に血肉が与えられるのだろうと思ったが、最後まで浮ついた存在にしか見えなかった。何故14歳があそこまで追い詰められたのか、一見普通の家庭で育ったはずの少年の孤独とは何だったのか、彼にとっての正義(または偽善)とは何だったのか――それらが明らかにされない限り、この裁判は各々の自己満足でしかないのではないように思う。というか、もう一人のキーマン「神原」の証言が何故真実なのだとみな思うのかが不思議だ。それこそ調べなければわからないのでは。真実は何もわかっていない。
 さらに、本作は終始大人になった藤野涼子の回想として語られているのだが、そうであるのなら、裁判を経て、再び教師になって同じ学校へ戻ってきた気持ちや生き様も見せて欲しかったのだが、単に思い出話で終わってしまったのは残念だった。文庫版にして6冊もかけた原作ならば、その辺りはもっと深く書きこまれているのかもしれないが、内容を知ってしまってから6冊も読む気にはあまりならない。
 それでも「それなりに楽しませてもらったなぁ」と思ったところに流れてきたのがU2だったので、脱力しながら半笑いである。歌詞を見れば内容と合っているような気もするけど、日本の学校(そして家族)の物語というドメスティックな映画に、アイルランドのバンドの曲を起用する事はないんじゃないかなぁ。
 主人公をつとめた藤野涼子は美しい涙とおでこが印象的で、低めの声も合わせて風格があった。小日向さんは見事な校長ぶりだったし、個人的には昨今珍しいほどのツンデレを最後まで存分に見せてくれた「井上」が好きでした。あれはずるい。