不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

反転された過去と血脈

 実に『レインメーカー』以来、15年振りに劇場でコッポラ作品を見るのだから、ずいぶんご無沙汰してしまったものだが、調べてみるとその間にあったのは07年の『コッポラの胡蝶の夢』だけなので、ご無沙汰していたのは御大の方だったのかもしれない。
 『テトロ 過去を殺した男』を見た。監督、フランシス・フォード・コッポラ。出演、ヴィンセント・ギャロ、オールデン・エーレンライク、マリベル・ベルドゥー。

 所はブエノスアイレス、バスから降りる青年が閑散とした真夜中の町をてくてく歩いていく後ろ姿が、不思議な緊張感と不穏な空気を醸しだす。ドア一枚隔てての弟と兄の久方振りの再会から切って落とされたのは、モノクロの現実とカラーの幻惑からなる、血の業による地獄めぐりであった。
 とにもかくにも、光と影が織りなす映像美の数々に酔いしれる。窓から差し込む陽の光、壁に映る影、鏡の向こうの姿、雪山の反射、反転する文字、沈殿する闇の先……。仮にこれが新人監督の作品だと言われても信じられるほどパンキッシュな演出、見事な伏線の張り方、モチーフの繋げ方、そして堂々たる展開は、巨匠コッポラがいまだ映画に憑りつかれている事がよくわかった。野暮ったさ、ダサさ、ヘンテコさもしっかりあったけど。
 人物と人物の鏡像、書かれた文字・言葉・文章とそれらの鏡像、父と子という鏡像、過去と現在という鏡像、これが共鳴反転を繰り返しながらめくるめく物語を紡ぎ出す。フラッシュバックで捉えられるいくつもの過去は反転という過程を経る事でフィクションと化し、あくまで現在が主軸となって物語は更新し、いつの間にか幻惑は鏡像を通過して現在へと繋がる。そして二つの相反するものがそこかしこで競い合いながら(劇中でも「競争心」という言葉が出てくる)行きつく先は、「光を見るな」というひと言だった。
 デラシネの兄テトロを演じるはヴィンセント・ギャロ。詩人の繊細な心と、不意に見せるデモニッシュな姿と、時折り垣間見せる屈託のない笑顔を併せ持つ不思議な男を見事に演じ、テトロに成り切っている。当初はマット・ディモンの予定だったというが、ギャロの中途半端な(失礼)アーティスティックな雰囲気が、当て書きしたかのようにはまっていた。弟ニック役のオールデン・エーレンライクは「新しいレオナルド・ディカプリオ」と言われているそうだが、単に顔が似ているだけな気がするぞ。顔が直方体。
 物語自体に目新しさはなく、ある種の既定ラインを沿って進んでいく。その過程は静謐で、端正に積み上げているが、終盤でテーブルをひっくり返すような混沌が産み出された挙句、一見ハッピーエンドに見えつつも何も解決していないラストへ辿りつき、そこでもまた酩酊する光と影の中に放り込まれてしまうからまいってしまう。
 それにしてもこの作品、製作費は1500万ドル、限定公開という形でアメリカでの収入は285万ドルだったという(wikiより)。日本では2010年ラテンビート映画祭で上映されたものの、正式公開の予定はなく、今年になってようやくシネマート六本木でこちらも限定公開だ。あのコッポラの新作がこの様子というのは、なんだか空恐ろしいものがあるのだが、逆に言えばこの状況だからこそコッポラが静かに、しかし狂ったように暴れられるのかもしれない。
 退屈なところもあったし、結末が尻切れトンボなのが不満だが(あれで終わりってのはないだろ)、俄然次作が楽しみになった。タイトルは『Twist』だそうだが、さてこちらは無事に日本で公開されるのだろうか、まずはそこが気がかりだ。