不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

氷はいつか溶ける


 フローズン・リバーを見た。監督・脚本、コートニー・ハント。出演、メリッサ・レオ、ミスティ・アパーム。
 新しいトレーラーハウスを買う金を旦那にとられて、途方に暮れている白人のレイ。事情があり子供と離れて暮らしているモホーク族のライラ。ひょんな事から出会ったシングルマザーの二人。人種も年齢も違う二人が、それぞれの事情の金のために、不法入国の手引をする事になる。
 女性二人が貧困と困難を乗り越えていく人間ドラマ。クエンティン・タランティーノが絶賛したと聞けば、サスペンス要素の強い、ドキドキハラハラのシリアスものを予想していたが、緊迫感はあるものの、ちょっと違った印象を受ける映画だった。
 モホーク族保留地という土地は部族会議が強い力を持っていたり、州警察の保留地でできる事が限られていることなど、興味深い。この中途半端な人種の混濁具合が、ある意味アメリカなのだろう。
 もっとも興味深いのはレイ一家が抱えている貧困である。レイは1ドルショップで懸命に働いているが、出世の約束は反故にされ、ギャンブル狂の旦那に金を取られて、頭を抱えている。しかし、彼女は本当に「貧困」なのか。確かに断熱材を使い、水道が凍らない新しいトレーラーハウスが買えない事は大変で気の毒な話だが、最低限住むところはある。金がないと言いつつ、バカでかいテレビをレンタルし、金が入れば料金をわざわざ払ってレンタル期間を延長する。車も2台持っているし(まぁこれは必要なのだろうが)、幼い二男は流行りのおもちゃを欲しがり、クリスマスにプレゼントは当然買う。
 これらを「贅沢言うな。もっとひどい貧困がある」と言いたいのではない。この金銭感覚こそが、あのサブプライムローン問題を生んだのだ、と合点がいったのだ。なるほど、これこそがアメリカの貧困の「病巣」なのか、と。
 加えて、レイはよく銃を振り回している。むろん、それは理由があってやむを得ずの場合がほとんどなのだが、しかしそこに見えるのは、やはり銃社会アメリカの「病巣」ではないだろうか。
 生活感あふれる日常を描く事により、押しつけがましくなく、問題点が浮き彫りになり、我々に見せつけてくる。この描き方は、女性だからこそできたのでは、と思う。
 二人の女性は、今の貧困から脱出したいと願っている。極寒の過酷な地で、お互いが「どうやって生きていくか」を模索し、目の前の困難な状況を乗り越えようと足掻いている。
 今のどん詰まりから抜け出したい。だから非合法でもいいから金を稼いで、前へ進みたいと行動に出た。だけど、彼女らがほしかったのは単純な金だけじゃない。もう一度やり直したかったのだ。人生を。母親を。パレスチナ人のカバンのくだりは、まさに母親のやり直しを描いていたのだ。
 やり直しなんかできない。だけど、彼女たちがそこから前へ進む姿には、圧倒されるほどの迫力と美しさがあった。
 終盤の、問題の解決の仕方は、やや都合がよい展開に見えた。しかし、それを単に「甘い」とか、「ご都合主義だ」と断ずる事は俺にはできない。
 世界は極寒の地のように、凍りつく厳しいものだ。そんな世界にも、いつか温かな春が来るだろう。だけど、春が来ても、氷の川の上にいたままでは底に落ちるだけだ。重要なのは、自分たちがどこへ、どう動くかだ。
 間違えた、過ちを繰り返した。否定しない。それらを背負って、人生を家族とやり直したい。そして、彼女たちは意志と覚悟を持って、行動を起こした。その結果を否定する事は誰にもできないはずなのだ。
 「甘い」のかもしれない。
 だが、その「甘さ」を、俺は受け入れたい。
 春の訪れを感じさせるラストに、ほっとした。