不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

トキエではなくビアンカ


 ラースと、その彼女鑑賞。監督、クレイグ・ギレスピー。出演、ライアン・ゴズリングエミリー・モーティマー、ポール・シュナイダー、ケリ・ガーナー、パトリシア・クラークソン
 予想以上にすばらしい映画だった。リアルドール、いわゆるダッチワイフを彼女だと言う男の話となれば、キワモノにしか聞こえず、日本ならばフィギュア萌えのオタク映画になってしまうところだ。物語にはそういったオタクも出てくるが、むしろ自己完結された世界の住人で、安定している強い存在として描かれていた。
 物静かで、内気な青年ラースが主人公。彼は、ある日兄夫婦に「彼女」を紹介するが、それはネットで買った等身大リアルドールだった。兄夫婦は精神科にラースを連れていくが、精神科医は「ラースと、その彼女を否定せず、付き合って」という。そして、兄夫婦だけでなく会社の同僚、教会の仲間など、周囲の人間たちも、ラースとその彼女の、一種妄想と言える世界の住人となっていく。
 前半はユーモラスにラースと彼女の姿を映している。観客全員わかっているのに、初めて「彼女」を兄夫婦に紹介した場面は大笑いだ。リアルドールを連れ歩き、壊れもののように丁寧に接していくラースと、その周囲の反応も笑いを誘う。
 このリアルドールは、終盤はあまり出てこないのだろう、と思っていたが、最後まで重要な存在として出演し続けた。その脚本の練り具合に唸ってしまうほど。
 ラースを演じたライアン・ゴズリングは、単なる内気、単なる変人を演ずるのはではなく、誰からも愛される変わり者の内気な青年を好演。これは難しいだろう。ラースがリアルドールを「彼女だ」と言っても、みんな軽蔑する事なく接するのが、自然に見える。脇を固める俳優陣もよかった。精神科医パトリシア・クラークソンのクールさとやさしさ、そして淋しさ。個人的に特に気に入ったのは兄役ポール・シュナイダー。常識人でありながら、ラースの唯一の肉親、どうしたらいいんだと、悩みながらぶっきらぼうに接していく姿が愛らしい。
 「やさしい嘘」の物語だ。
 誰もが生きていくために大人になるしかない。だけど、そんなうまく大人になれない人もいる。だけど、だけど、それでも大人にならないといけない。
 だから、嘘をついた。その嘘に、周囲の人間ものっかった。実はそれによって、同じ嘘の物語を共有し、生きる力を得たり、傷がいやされたり、回復していった。
 ひょうたんからこま、ではないが、一つの嘘が、大きなやさしさとなり、あたたかいコミュニケーションへと繋がっていく。
 その嘘の物語で、当のラースはどうなのか。
 ラースの抱えているトラウマ、孤独、淋しさ。自分が小さな存在としか思えない。哀しくなって、泣きたくなる。
 僕は、前に進みたい。
 だからラースは自分の力で動いた。それは、人とちょっと違って、速度も遅いかもしれないけど、きちんと自分で決断して、自分で前へ歩きはじめたのだ。
 最後の最後、ラースが友達にいった一言。何気なさすぎるその一言が、どれほど美しく輝いているか、ラースは自分でわかっているのだろうか。
 君は、すごく、すごく、すばらしい人間なんだ、と抱きしめてあげたくなった。