不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

通り過ぎたのは雑誌か、俺か

 坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』読了。雑誌から見た自伝的エッセイ。最後は『マイルストーン』で終わっているが、俺が坪内祐三を知ったのは、大学に入学し売店で買った『マイルストーン』に掲載されていたインタビューだった。『東京人』時代のエピソードを知りたい。書かないかな。
 こういう本を読めば、当然自分の体を通り過ぎた雑誌は何かを思い出す。俺はそれほど雑誌を読む人間ではなかった。小中学時代の『週刊少年ジャンプ』、高校時代の『週刊プロレス』『週刊ゴング』、大学時代の映画誌と音楽誌を中心としたカルチャー誌、社会人になってからは読むだけだったらこれまでの全てのものにプラスして週刊誌、総合雑誌も。買うのは少なくなった。
 この中でもっとも熱中したのは、言うまでもなく高校時代の『週プロ』『週ゴン』である。当時は新日に夢中だったので、どちらかと言えば『ゴング』派だった。
 ちょうどnWoタイフーンが吹き荒れている時で、確か発売日は今と違い木曜だったはずだ。発売日に2冊を買い、試合速報からコラム、情報、読者投稿欄までなめるように読んだ。そして土曜日深夜の「ワールドプロレスリング」、日曜深夜の「全日本プロレス中継」を見た。たいがい雑誌に出ていた試合を放映するので結果はわかっていたのだが、ドキドキ、わくわくしながら見た。月曜日はテレビ埼玉だかTVKだかでWCWも放映していてチェックしていた。そして、また木曜日を待った。不思議な事に、スポーツ新聞で試合などをチェックしようとは思わなかった。ひたすら雑誌とテレビで発信されているものを、受けとめようとしていた。
 こんな一週間を延々繰り返していた。大学に入ってからも、橋本・小川の死闘や、桜庭のグレイシー狩りに夢中になっていたが(PRIDE自体はもっと前に始まっていた)、雑誌に対しての熱意は薄れつつあった。理由はよくわからない。ネットが普及し出して、情報をそこで得るようになってしまったからだろうか。
 気づいた時には、俺は『週刊プロレス』も『週刊ゴング』も買わなくなっていた。そして、いまや『週刊ゴング』と、時々買っていた『週刊ファイト』は姿を消してしまったが、それはまた別の話。
 振り返ってみて、あの時の熱意は何だったんだろうと不思議に思う。あんなに熱心に雑誌を読む事も、あんなに雑誌の発売日を待ち望む事も、もうないんだろうなぁ。

私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫)

私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫)