不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

夢と絶望と時代を抱え

 坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』読了。
 タイトル通り、変死したアメリカ作家について書かれている。その「死」、ひいては彼ら作家の人生そのものが一つの作品となっている。マイナーな作家ばかりだが、マイナーという事は夢破れ(または半ば)で散っていった作家であり、より強く時代の「空気」を映し出している。どの作家も一つは傑作を書いているのも興味深い。それらを読みたいが、すぐには手に入らなさそうなのが残念。
 内容以外に面白かったのが、坪内祐三の文である。
 知らなかったのだが、これが書かれたのは坪内さんが『東京人』の編集を辞めたすぐ後らしい。つまり、本当ならこの本がデビュー作のはずだった。最後に書かれた「ウェルドン・キース」だけ2007年に書かれたもので、何故本にならなかったのか書かれている。14年の時間の差があるわけだ。
 その差は大きく、文章が全然違っていた。表現方法から、改行の仕方まで。14年前の文は無駄(寄り道、つまり括弧が)が少なくすっきりとした、“初々しさ”すら感じる文章(14年前に書かれた事を知る前から、そう感じていた)。一方、「ウェルドン・キース」の回は、読み親しんでいる坪内祐三の文章だった。また、そういった違いがありながらも、確かに14年前の文章も坪内祐三の文章だと感じるのが面白い。
 「変死するアメリカ作家たち」は未来社のPR誌『未来』に連載されていたが、原稿依頼したのは同誌の編集もしていた演劇評論家・西堂行人。実は、俺はこの人の演劇理論の講義を受講していた。していたのだが、西堂さんの声はα波なのか、聞いていると異常に眠くなってくる。そして、熟睡。はっと気付けば、教室内で起きていたのは30人中2、3人だった。しかも西堂さんを入れて。いや、すんません。内容は面白いだけどさ。こうやって無駄に講義を聞いていたんだな。勿体無かったなぁ。
 まさか本の中でお目にかかるとは……一番驚いたのは「西堂行人」というのがペンネームだった事。何でペンネームなんか使ってんだろ? 別に(どうでも)いいけど。

変死するアメリカ作家たち

変死するアメリカ作家たち