不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

バンドとオマエと世界と自分

 先日のアジカンライブのセットリストを探しにmixiASIAN KUNG-FU GENERATIONコミュニティを見に行ったんですが、何やらライブマナーについて白熱していた。
 曰く「前座がいるとは思わなかった」「前座が長い」「ライブが始まっているのに携帯で書き込みをしているのは如何なもの」「前にいたら押されて痛かった」「足を踏まれたのに謝らない」「歌を歌うんじゃねぇ、ボーカルの声が聞こえないだろ」……などなど。喧々諤々とやっているのを見て、ははぁ、みんな若いなぁと思いました。若いというか何と言うか。
 全ての人間の要求に答える状況なんて有り得ないんですよ。メジャーバンドなら少なくても百人単位の人間が集まるわけで、そこで自分の最も快適な環境にさせる事なんて不可能だ。学校を思い出せばわかるでしょう、30人くらいの中でも自分の価値観や意見を通す事なんてできなかったはずだ。それくらい考えなさいよ。
 結局ね、想像力の問題なんですよ。何だかジジくせぇ言い方ですけど。スタンディングのライブで最前に行けばどうなるか。ライブ中に携帯を持っていればミュージシャンはどう思うか。ライブでバンドと一緒に歌う人がいるのかいないのか。初めてだからわかんないなら様子を見ろ。前座がいるのが知らなくてもいるんだから楽しめよ。足だって踏まれるわ。許してやれ。でも自分が踏んだら謝れ。
 頭足りないわ想像力はないわ心狭いわ、何なんだオマエは!
 いいか、世界はオマエ中心なんかで動いていないんだ。世界は世界を中心にしているんだ。「社会の歯車になりたくない」と言うけれど、歯車にもなりゃしねぇ。歯車だって一個外れれば止まっちまう時だってあるんだぞ。それでも停止するのは一瞬だけで、世界は何も変わりはしないんだよ。
 それでもオマエは世界にいるんだし、世界と繋がっているのなら、世界を思え。思いたくないなら世界から消え失せてくれ。
 そして、自分自身で自分を決めろ。熟考と感覚の果てに決めろ。


 要はもっと考えて行動したり物を言ったりしなさい、という事です。何でこんな熱い語りになったのかは不明です。自分が分からん。勢いで書いちゃったけど、掲載。