マンハッタンのユニオン神学校で「黒人神学」の提唱者ジェイムズ・H・コーンから黒人神学を学んだ日々を綴ったエッセイ集。若書きといっていい拙さもありながら、いや、であるからこそ信仰、祈り、寄る辺についての言葉がダイレクトに響いて、再読必至の一冊。薄く、平易な言葉で綴られているが、ゆっくりとしか進められなかったのは、言葉を噛み締めるようにして読んだから。神学を学びたくなる、読めてよかったと言ってよい。引用や名詞、強調以外に鉤括弧は使われておらず誰かの言葉や会話も地の文になっていて、全て私の声であり誰かの声であると同時に、タイトル通り「それで君の声はどこにあるんだ?」という問いかけにもなっていた。著者が訳したコーンの自伝『誰にも言わないと言ったけれど』も買った。私の声はどこに、少なくともここは私の声なのだと言えるようにしたい。
疲れたばかりの日記ですみません
異常な忙しさを体験したので、普通の忙しさはどうという事がない、というと限界突破したかのようないい話風だが、単に麻痺しただけなのが実状だろう。多少は回復したが回復ゲージ満タンではなく三分の一くらいまでしか回復していないのですぐに疲れてしまう、電車に乗ると一駅でも座りがち。省エネで過ごしたい。
強さと試合時間は関係ありません
今日試合が行われるのは知っていたが18時30分開始では見られないだろうなと思っていた井上尚弥vsノニト・ドネア、家でメシを喰い終わり、カフェラテを淹れて飲みながらTwitterを見たら「いまから!」というツイートが目に入って、え、まだ試合やってないのかと慌ててAmazon prime videoを起動したらまさに始まる直前であった、それが21時過ぎで三時間近く何をしていたのか、他の試合もあったに違いないのだが18時30分から今か今かと待っていた人も多かろうて、昔から格闘技番組はそういう構成になりがち。ともあれ、リアルタイムで見られるとはと喜びながらの観戦は、井上の2ラウンドKOという完勝であった。個人的には格闘技においては時間は強さとは関係がないと考えている、強さは試合内容としか関係がない。短い時間でもドネアは強かったし、退場時に誰かが転んだのを慌てて助けるのを見て、スポーツマンかくあるべしと思った。久しぶりに格闘技をきちんと見た気がする。
眠かった
何を書いたか忘れてしまったくらい昨日は眠かったらしい、今日も午後まで眠くて仕方がなかったが会議を乗り越えたあたりでちょっと落ち着いた。カミさんから自律神経がおかしいのではないかと言われたが、前におかしくなった時は(といっても勝手にそう思っただけだが)眠れなくなったのでその逆もあるのかはわからない。あの時は養命酒を飲んで無理やり寝ていたが、いまはただ眠いのでだったら眠ればいいだけな気もする。と、ここまで書いたところでiPadが突然ブラックアウトした、何事か、電源ボタンを押したら動いた、私の代わりに落ちてくれたのか、そんなわけない。調べたらこれを買ったのが四年前、毎日何かしら使っているのだから、ぼちぼち買い替え時だろうか。いろいろと見極めが大切だ。
六月四日、更新
疲れているから景気づけに、という理由でいつもいいものを喰っているが今日もまた喰いに行った、焼肉。寿司と焼肉のよい店を最近立て続けに発見できたのはいい収穫だ。不動産屋へ行き、更新手続き、とりあえずまた二年。二年いっぱいいるかどうかはわからない、相変わらず先行きが見えない人生、どうやって生きていこうとぼやきながら生きている。腹ごなしもかねて隣駅まで散歩し、カフェスタンドで一休みしてから本屋、スーパーに寄ってから帰宅。『FARGO』シーズン4を見終える。それなりに楽しんだが、これまでシーズンにあったような「何でこうなっちゃったんだろう」という人間のおかしさと切なさが薄く、物足りないままだった。それで最後の5は製作されるんだろうか。夕飯は野菜と卵のみのチゲスープのみ。何となくつけていた野球(巨人vsロッテ)を見たら夜の散歩へ、少し肌寒い。