不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ちょっと前に読んだノンフィクション

 アルテュール・ブラント『ヒトラーの馬を奪還せよ』(筑摩書房、安原和美訳)。帯の「事実は小説よりも奇なり」を地でいく美術ノンフィクション。戦火で失われたはずの「ヒトラーの馬」が見つかった、果たして本物なのか贋作なのか、そして一体誰がどこに置いていたのか……探っていけばいくほど、陰謀論もかくやの裏世界が目の前に展開されていく。ぜひ一本の劇映画にしていただきたい。人物がみな胡散臭くて、とても美術の世界では生きていけないなと思わせてくれる。そして、あの戦争は確かに終わったけれど、世界と歴史はずっと地続きなのだと教えてくれる。都市伝説や噂、謎はバカにはできないが、《物事には限度がある》と著者も一応最後に付け加えているのを忘れずに。東ドイツのあれこれなど知識として知っているのと、実際の声とはやはり違うなともわかる。それはイスラエルパレスチナもそうなのかも(だから何も言わずに、黙っているという事ではなく)。

 かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(河出文庫。単行本で出た時におもしろそうだなと思いつつ読まなかったのだが、文庫入りしたので早速読む。帯コメントとして宮部みゆきが「徹夜本です」と書いていて、まぁ私は徹夜はしなかったけれど確かに抜群におもしろい音楽ノンフィクション。ベートーヴェンは耳が聞こえなかった事をご存じの人は多いだろうが、自身は喋られるので相手がノートに書き込み、それにベートーヴェンが答えるという会話の方法だった。その書き込まれた会話帳は言うまでもなく第一級資料のはずだが、なんとこれに手を加え会話を捏造していた人物がいた、誰だ、ベートーヴェンのそばにいた秘書シンドラーであった。一体いつ、どうやって、そして何故……その謎を追う。捏造事件そのものを知らなかったので驚きだらけだった。交響曲第五番のあの音が「運命が扉を叩いた音」とベートーヴェンは本当に言ったかどうかが不明だという、そんなバカな。シンドラーの見たベートーヴェン像、その周辺も含めて様々な人間心理のノンフィクションでもある。本書はシンドラーを主人公にした一つの物語として書いているけれど、実はこれはこれで「何故あなたに、彼が何を見て、どう考えたのかわかるのか」という問いが生まれてしまうのだが、さすが著者はしっかりとその問題を認識しており、《立脚すべき方法を持たない書き手が、ひとりの嘘つき男の目線から物事を語ろうとする危うさについて、私はいくども自問自答した》(単行本版あとがきより)そうで、ならば信用できるなと思った。