不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

途中で

 今月発売の文芸誌はどこも大江健三郎の追悼特集を組んでおり、共通したテーマだからこそ各誌の人脈と選別、そして書き手の力量と人柄が問われるところがあって、追悼文というのは非常におもしろい、と書くと不謹慎か。どれか一冊のつもりが、結局『文學界』『群像』『新潮』を買ってしまった、とても読みきれない。大江ほどの規模の特集が組まれるのは、あとは村上春樹くらいだろうか。いつか私がいなくなったら、私を知っている人は何て言ったり書いたりするだろう、それを読んでみたいと思う事があるがいなくなった私は読めないであろう、叶わぬ夢だ。大江が、坂本龍一が、私の母が、誰であれどうであれ、何事も決して完結しないで終わるのが人生だ、スティーブ・ジョブズの妹の追悼の言葉なんぞを思い出した。

私たちはみな、最後には、途中で死にます。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。