プロレスが好きで応援していた三遊亭円楽が亡くなった翌日、アントニオ猪木が逝ってしまった。享年七十九、いま思えば六十一歳で亡くなったジャイアント馬場は早かった。重い糖尿病をはじめ病を患っている事は知っていたし、あのNHKで放映されたドキュメンタリーの姿を見ていれば早晩その時を迎えるであろう事は想像に難くなかったので驚きはなかったものの、やはり巨星墜つの感は大きい。病気復帰後に高座に上がった円楽も、病床の自分をカメラに撮らせた猪木も、生き様と死に様をそのまま多くの人に見せた事になり、噺家もプロレスラーも職業というより生き方と言ってよいのかもしれないと改めて思った。あの番組で逝きそうになっても何度も戻ってしまうのは「馬場さんがイジワルするから」と言っていたが、ようやく「わかったよ、こっちに来な。お疲れ、寛ちゃん」と馬場さんが迎え入れてくれたのだろうか、その光景はちょっと見たい。モハメド・アリにも会っている事だろう。さらに後ろにいるかもしれない力道山にはおそらく会いたくないだろうが。
私は闘魂三銃士・プロレス四天王世代であり、全盛期の猪木、馬場にはリアルタイムでは間に合わなかった。何故かカウントが増えていく引退ファイナルカウントダウンをはじめ試合は見ていたし、引退後の言動行動にも注目はしていたが、個人的に大きな思い入れはない、と言ってよいはずなのだがこの日記で猪木と検索してみたら一言触れただけも多いとはいえ思った以上にその名前を出していた。縁あってIGFを見に行った事もあった、どんなにトンチキでもあの「ダーッ」をやれば大団円になるのがずるいと思いつつ力いっぱい一緒に腕を上に突き上げていた。
プロレスラーとしてどれだけ偉大なのかは私が言うまでもない、引退後はわりとトンチキな事ばかりを言ったりやったりしていて、議員としてもイマイチだった。それでも猪木はそこにいて、元気ですかと気を吐いて、駄洒落を言って、「ダーッ」と言ってその場を掻っ攫っていった。もうあの一連の流れを聞く事ができないんだなと思って、初めて寂しくなった。そうか、闘魂はもう、いないのか。