不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

四月二三日、C'MON C'MON

 暑くて起きたらカミさんはもう出かけていた。淹れておいてくれたコーヒーを飲んで、ぼんやり過ごしてから昼前に外出。パスタ屋でTと待ち合わせ。久々に飯と茶でもという誘いがあった。飯のあとは散歩と茶、そのあいだに近況からRed Hot Chili Peppersの新譜、政治の話、ワクチンの話など、種々雑多に談笑。

 解散し、今度はカミさんと待ち合わせ、映画館へ。 『カモン カモン』 を見る。何せ私は『人生はビギナーズ』が好きで、ホアキン・フェニックスのファン、そのうえ予告もポスターもよすぎたものだから、あげすぎないようにと思いつつ高まる期待値を持っての鑑賞だったのだが、映画史に残る傑作ではないけど、個人史に刻まれる小さな作品で大満足。中年と子供というわかりやすい構図とパターンだけど、「(子供という)異文化との交流で大事な何かに気付いたり、知らない自分を知ったりする」個人が劇的に変化する話ではなく、あくまで自分の現在地、あるいは考えを自覚するだけ。私たちは質問をする、話を聞く、話をするという対話/会話でしか関係を築けないし、言葉にする事でしか自覚できない。そして関係性の変化によってその先へと誘われる。同時に「話を聞かない」事の暴力性も伝わってくるのがうまい。日記のようなメモ独白が、そのうちに誰かへのメッセージになってエモーショナルに響く展開に、グッときた。こまやかな、他者と自己の声を聞こうとさせる優しさが、今でも過去でも未来でも染みそう。これだけパーソナルな話でもドメスティックになっていなかった、本当によい映画だった。

 私は俳優ではないのであくまで想像だけど、こういう演技の方が難しいように思うので、ホアキン・フェニックスは『ジョーカー』よりも本作の演技を評価すべきなのではないかと思った。子役のウッディ・ノーマン、めっちゃうまい。カミさんと(別で見た)姉に、「おまえはジョニーに似ている」と言われた……。カミさんはアクションやサスペンスのように「先がどうなるのか」という観点からしか映画を見ていなかったのだが、本作を見て初めて「この先どうなるんだろうではなくて、いま何が描かれているのかを見て楽しむ」事を知ったという。

 飯を喰って帰宅。あとは余韻に浸るのみ。


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