不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

詩の本二冊

 「詩」というもの/谷川俊太郎|「新潮」編集部|note

 私にとって谷川俊太郎は『PEANUTS』の翻訳者がまず来てその次に詩人で、それでもその平仮名の詩がいまいち苦手だったのでそれほど読んだ事はなかったのだが、上記の記事を読んでこれはちょっとすごいな、認識を改めなければと思い、かといってやはり詩集には手が伸びなかったから尾崎真理子が聞き手となった評伝兼インタビューの『詩人なんて呼ばれて』(新潮社)を読んだ。父親である谷川哲三の事からしてえらくおもしろい。途中、佐野洋子との結婚付近からは谷川の歯切れがいささか悪くなったようにも思うのだが、その佐野がやはりおもしろくて次は彼女の本を読むつもり。一読だけでは咀嚼しきれず、そのうちまた読みたい。

 たまたま同時進行で町田康伊藤比呂美『ふたつの波紋』(文藝春秋を読んでいて、気が合うのに考えが違う二人がバチバチガンガンぶつかり合いすれ違っているのでスリリングで、たいそうおもしろい対談本となっていたのだが、ここでの町田の現代詩への「自分の事ばかり」という問いかけと懸念は、谷川の本の後だとやや古いというか認識がズレており、懸念はわかるが大雑把すぎる気もした。ということがわかるので、上の本を読んでいてよかったなと思う。それはそれとして町田康訳の『平家物語』は読んでみたい。どこか企画してくれ。