不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

墓と先祖

 カミさんが日帰りで実家に帰り、墓参りに行ったそうだ。俺は盆の季節に墓参りをするなんて小学生の時以来していない、小学生の時ですらしていないのでは。そもそも墓参りというものをしない、墓参りをしない=先祖を大事にしないと思われそうだが、別に先祖がどうでもいいわけではなく(特別大事でもないが)、大事に思うからといって墓に行く必要はないのではないかと思っていて、それは完全に母の教育によるものだ、信仰は否定しないが宗教は好きではなかったようだ。その母は自分の事でも「別に墓参りしなくていいよ」「(嫁ぎ先の)墓に入れなくてもいい、骨は撒けば?」と言い残して亡くなった(結局分骨になった)、だからできるならするけどできないならしていない。先日飯を喰った人が、ある書道家だか占い師だかと知り合い、何回目かの面談で「顔色が悪い。先祖を大事にしていないからだ」といきなり言われたという。その人はちょっと前に墓参りをしていたそうだが「もっと前の先祖の事だ」と言われて、そんな何代も前の人は考えた事がないなぁと思っていたら、突如巫女らしき人に両腕を抑えられるや相手がお祓いを始めた。あっけにとられている間に終わって、「これで大丈夫」とデジタルカメラで顔の写真を一枚撮られたのだが、それを見ると自分の額からパーッと光が放たれていたという。別に相手はお祓いで喰っているわけでもなく(書いたように本業は別にある)、見返りか何かを求める事もなく、その話題もそれっきりだったそうで、「変わった人が世の中にいますね」という結論で終わったのだが、俺が一番気になったのは墓参りしないからと重荷になる先祖も先祖だが、しかし自分の先祖を祓ってしまってもいいのかという事だった。それが一番先祖を大事にしていない事になるのではないか、祓われた先祖は成仏したのか、それならいいんだけど。いや、そもそも墓と成仏と輪廻転生と、盆と彼岸、そういった事はどういう仕組みになっているのかいまいち理解していない事にいま気づいた、近々坊主の友人に聞いてみよう。