不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

興味と顔

 別役実が亡くなった、名前は知っているし演劇界の巨人ではあるが個人的な思い入れはなく一冊だけ著作を持っている、『現代犯罪図鑑』でそれも共著者である玖保キリコ目当てで買った。死に関しては亡くなったのだなという小さな追悼しかないのだが、TwitterのTLでべつやくれいが「父が亡くなった」とコメントを出していたので驚いた。父娘だったのかと。「べつやく」という珍しい姓なのだから、もしや血縁関係なのではと考えても不思議ではないのに、全く思いもしなかった。こういう事がよくある、ベン・アフレックケイシー・アフレックジェイク・ギレンホールマギー・ギレンホール、スカルスガルド一家の事も知らなかった、ホアキン・フェニックスは最初からリバーの弟として認識していたのでセーフ。

 誰と誰が親子で、兄弟で、友達で、といった人間関係に全然興味がないのかもしれないが、しかしたとえば日本の作家同士の人間・交流関係には興味があるし、そういう話を読むのは好きだ。夏目漱石周りの弟子たちの逸話、石川啄木の屑っぷり、中原中也太宰治に「おまえ、何の花が好きだ」と喧嘩を売った話、永井荷風谷崎潤一郎終戦直前に一緒にすき焼きを突っついていた話などなど、そういう話はたくさん知りたいので人間関係全てに興味がないわけではないのだろう。

 この手の話でよく覚えているのは、一瞬の邂逅なので交流でも何でもないのだが、芥川龍之介が成瀬正一、久米正雄と帝劇の音楽会の休憩時間に喫煙室の入口である大作家を見かけた話だ。その時の事を芥川が書き残している、耽美。

途中の休憩時間になると、我々は三人揃つて、二階の喫煙室へ出かけて行つた。するとそこの入口に、黒い背広の下へ赤いチヨツキを着た、背の低い人が佇んで、袴羽織の連れと一しよに金口の煙草を吸つてゐた。久米はその人の姿を見ると、我々の耳へ口をつけるやうにして、「谷崎潤一郎だぜ」と教へてくれた。自分と成瀬とはその人の前を通りながら、この有名な耽美主義の作家の顔を、偸ぬすむやうにそつと見た。それは動物的な口と、精神的な眼とが、互に我がを張り合つてゐるやうな、特色のある顔だつた。我々は喫煙室の長椅子に腰を下して、一箱の敷島を吸ひ合ひながら、谷崎潤一郎論を少しやつた。*1

 これを読んで思い出したのは、漱石の葬式で見かけたあの作家の顔について。

夏目先生の御葬式の時、青山斎場の門前の天幕に、受附を勤めし事ありしが、霜降の外套に中折帽をかぶりし人、わが前へ名刺をさし出したり。その人の顔の立派なる事、神彩ありとも云うべきか、滅多に世の中にある顔ならず。名刺を見れば森林太郎とあり。*2