不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

休日派選挙と言葉日記

 昼頃に駅に行ったら人だかりができていて、マイクを通した声が聞こえたので遠くからでも選挙演説だとわかった。政策は新聞やネットで見ればいいはずだし全部は語れないから、自分の名前や存在を周知させるためのもので、駅前でやるぶんにはわかるが家の方まで来て名前を連呼するのはやめてほしい、名前を知ったうえで嫌いになる、駅など人が集まる場所ならいいと思うが。彼らの狙いは自分の宣伝と誰かの批判である事が多いが、一方で有権者が演説や街頭での候補者の姿を見るというのは、彼らの主張したいことそのものよりも、彼らが使う言葉や立ち振る舞いを見たり接したりする事で、政策でなく人間としての存在を確認する意味があるのかもな、と思った。人が人を見て選ぶとはそういうもので、SNSでも同じだ、使う言葉と立ち振る舞い、たとえ文字(と写真)だけであったとしても、それで判断する。判断して実際に会ってみると、あれ?とまた違った感触の人もいる、それはそれなのである。話す時でも書く時でも演説でもSNSでも言葉や文体には気を遣うべきだ、弾丸と一度口にした言葉は取り返しがつかないというセリフがあまりおもしろくないギャング映画に出てきた、それもあるし言葉の限界が思考の限界であり世界の限界なのだ、俺たちはどこまでも言葉の住人なのだ、などと選挙とは関係のない事にまで思いをはせながら、休日に会社に行って働いた、疲れた。