不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

いつも誰かが死んでいる

 菊地成孔『レクイエムの名手』(亜紀書房。10数年間に綴った追悼文を集めたもので、おそらく菊地成孔の著作の中でもっともセンチメンタルにして、もっとも冷徹な一冊。悲しみの中にいてもなお筆を進ませるのだから、どんな意味であれ、冷たさが宿っているはずで、その絶妙なバランスが菊地氏の味になっているのだ。
 まず読んだのは、川勝正幸さん逝去の一文、「粋な夜電波」の前口上の原稿だ。これは音源でも聞いたけれど、本当にグッとくる。俺は川勝さんはもちろん知っていたけれどそんなにハマった事はなく、急死には驚いたが衝撃は薄めだった。だから、あの菊地成孔がここまで言葉が出てこないのかと驚いたし、その言葉の紡ぎ方は胸しみるものがあったのだ。いまもなお読んだり聞いたりする時があるほど。

 本書の中でもう一つ、白眉だったのは忌野清志郎の追悼文。一瞬の邂逅なのに、いや、だからこそ、こんな本質を一点突破するような文章が書けたのだろう。
 感想を書き忘れていた町田康『常識の路上』(幻戯書房にも、忌野清志郎の追悼文が収録されている。この本はいろいろなとこに書いたエッセイ・コラムを集めた一冊で、変わらぬ町田節、特異なセンスをしておられる事を再確認できた。この人の文章をリアルタイムで読めてよかったと思う。震災後の文章は特にね。そんな中でも清志郎の追悼文は際立っていて、わずか3ページだが、美しい詩かと思った。
 菊地成孔にしても、町田康にしても、またあのストレートならしい弔辞を革ジャンで読んだ甲本ヒロトにしても、彼らにこれほどの言葉を引き出させた忌野清志郎の存在感を、死んだ後で改めて感じた。死ぬ前に感じろ、と誰かに怒られそうだな。

あれだけ福の多かった方が、冥土で福に恵まれない訳がない。安心して故人を見送り、そして彼が残した、我々のハートから抜ける事のない永遠の楔を、噛み締めようではありませんか。フォークとブルーズの神が我々に授けた辛苦と歓喜を、死ぬまで背負おうではありませんか。オレがどんなに悪い事ばかりをしても。オレは知ってる。ベイビー。オマエだけは、オレの味方。

常識の路上

常識の路上