不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

偽りにも一分の理

 鑑定士と顔のない依頼人』(監督・脚本/ジュゼッペ・トルナトーレ、出演/ジェフリー・ラッシュジム・スタージェスドナルド・サザーランド、音楽/エンニオ・モリコーネ真相に触れています。

 個人的にトルナトーレのタッチや、逆算で作られたような型のハメ方は肌に合わないのだけれど、それでもよくできていると思う。演出は的確だし、意匠はこらされているし、そこかしこにある対称性はおもしろく、役者それぞれ抑えた演技も映えている。エンニオ・モリコーネの音楽はややうるさいながらも、耳に心地よかった。童貞vs引きこもりをこうエレガントに仕立てあげられるものかと感心もした。
 だがしかし、気に食わない――そう言いきってしまいたくなるものがこの作品にはあった。サスペンス、ミステリー的にしているわりに細部が雑だったのは、まぁいい。真相や結末が気に入らないわけでもない。監督の眼差しの問題である。
 ヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)は女性が苦手であり、「本物」の美術品を鑑定する仕事をしながら、「偽り」とも言える女性の肖像画を蒐集し、隠し部屋で彼女らに囲まれてうっとりする姿は自慰的であり、すなわち「偽り」のセックスを繰り返している事になる。そんな彼がいつしか、顔は見えないけど「本物」の女性に興味を引き、ついには恋をして、愛を手に入れる。しかし、それこそが――。
 ヴァージルの変遷や、嗜好(思考)の変化が主軸になっており、たしかにヴァージルが全人生を賭けて手に入れた「The Best Offer」が偽りであった事の哀切さはわかる。彼女の、そして彼自身の世界へのドアをこじ開けて手に入れたのは、「偽り」という大きな絶望と、「それでもドアは開いた」という小さな希望の混濁であり、そのカタルシスもよかった。
 けれど、ヴァージルの肖像画蒐集への監督の眼差しは冷たい、と少なくとも私は感じてしまった。たしかに彼の嗜好や、そのもの人生は倒錯したものであろう。だが、そういった偏執的な倒錯を美術(アート)は受け入れてくれるはずだし、孤独のままに美術に溺れる人間がいるのはおかしくないはずだ。
 また一方で、この話の裏側はある男の復讐劇である。それも単純な復讐ではなく、長い年月をかけた、複雑に愛憎が入り交じったものだ。ヴァージルの物語と相対するドラマとして、哀切極まりない物語がそこあるのに見向きもしていない。それが主軸でないにしても、役者の格に頼りすぎてしまって描き切れておらず、あっさりとしたもの。何故そんなに冷たいのかなと思ってしまった。
 歪な愛情と、屈折した友情――監督はそれを否定こそしていないけれど、不健全と見ている気がしてしまったのだ。「99%の偽りと1%の真実」の「99%の偽り」にも「1%の真実」があるのに。
 と、どうにも気に喰わなかったのだけど、終盤の時間軸を操作して(ヒゲで何となくわかるけど、剃る事ができるので必ずしも当てにならない)、機械人形(オートマトン)との対比を含めたラストシーンに様々な意味を持たせて「あとは皆さまにお任せします」と突き放す手練手管が巧いものだから、気に喰わないながらも見終わった後にあれこれ考えてしまったよ。
 それがまた悔しいのであった。うきー。