不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

強くなれと言われたけれど

 そのまま、ずいぶん前に見たんだが、同じようなコンビ芸を見せてくれたJ・エドガー』(監督/クリント・イーストウッド、出演者/レオナルド・ディカプリオナオミ・ワッツアーミー・ハマージュディ・デンチの感想を簡単に。

 歪んだアメリカンドリームか、アメリカンドリームが歪んでいるのか。フーヴァーなる人物の具体的な事は何一つ知らなかったが、そのキャリアを見てみれば20世紀のアメリカ政治史の裏側にしてど真ん中を歩んでいた事は明らかで、その人物像も裏表とあたかも「アメリカ」という国を体現化していて、なるほど、イーストウッドが興味を持つのもよくわかる。
 勤勉に働き、国家に忠誠を尽くし、強く、男らしくあれ。いわゆる伝統的なアメリカの男性の英雄像で、誰もがこれに憧れる。その憧れそのものになれた時、今度はさらに強固な愛国心と英雄願望を求め求められる。家族(母)だけでなく、社会そのものからも。その責任と圧迫から彼は、英雄という夢の中で苦しみ、唯一気が許せる、愛せる相手は――という単純な図式にしていいかどうかはちょっとわからん。「大統領すら怯える巨大な権力を持つ男」が実は一人の青年に過ぎなかったのだ、と軽い言い方で終わらせていい存在ではない。彼はアメリカという国家そのものと言っていいのだから
 だが、物語は逸脱せず、きれいに状況を整えられながら終局を迎える。起伏やカタルシスに欠けているのが残念だが、イーストウッドがしたかったのはスキャンダルの暴露でなければ、英雄神話の解体でもないから仕方がないかもしれない。だからこそ、最後の最後の、あの額へのキスは蛇足だった気がするんだよね。あの瞬間だけ、メロドラマの香りが立ち込めてしまった。たとえば、グッと肩を掴む程度に抑えておけば、ビターな味わいが増したと思う。……と、イーストウッド翁に演出のケチをつけるなんて、いやはや、身の程知らずもいいところだ。ここ以外はさすがのひと言で、しかも結構親切だったし。失敬。
 ディカプリオとハマーのコンビは、二人坐っている姿を見ると、いつかこの秘密の関係が明らかにされて破局を迎えるんじゃないかという緊迫感と、たのしく幸せな今日を精いっぱい生きているという多幸感がない交ぜになっていて、微笑ましくも哀しく見えた(老けメイクはさすがに無理があったのに、顔アップが多かったのはなぜだろう)。最終的に彼らがああいう結末を迎えたのは、普通によかったなと思った。果たしてアメリカが(ひいては全ての国家という存在が)幸せな結末を迎えられるかどうかは別の話として。