不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

何も感じない愛

 昨年は『ゴーストライター』、今年も『人生はビギナーズ』と続けて良作(後者はまだ予告しか見てないが)の主演をつとめており、新年も早々に主演映画が公開されるというので見に行ったのだが、なんとも残念な出来栄えであった。
 パーフェクト・センスを見た。監督、デヴィッド・マッケンジー。出演、ユアン・マクレガーエヴァ・グリーン

 思い出は五感でできている。笑顔やにおい、触った感じや音を聞いて、不意に思い出す。では、五感を失ったら思い出す事はできるのだろうか。
 予告から感染症によって嗅覚→味覚→聴覚となくなっていき、ついには五感がなくなる話だとは想像がついたし、五感がなくなっていく中での人間の生活や触れ合いを描きたかったのもわかるのだが、なんせ力量もセンスも足りていない。なんだか皮肉なタイトルにすら思えてくる。
 致命的だと思ったのは、こちらが予想しているとはいえ、モノローグでこの先なにが起こるか説明してしまっているところだろう。「まず××が起きる」→主人公たちにも起きる→「次に○○が起こる」→主人公たちにも以下同という流れができていて、サプライズどころかダイナミズムが一切なかった。
 五感を失う理由は感染症なので、パッと見は『コンデイジョン』や『ブラインドネス』のようなパンデミックをテーマにした作品に思えるが、そういったリアルな手触りは一切なく、描かれているのはファンタジーにすら思えるほどの愛である。だからか何故そうなったのかという理由も原因も一切わからずじまいで、それならそれで結構だけど、ならばわざわざ主人公の一人を感染症の学者なんかにする事はなかったんじゃないかと思う。もう一人が料理人なのだから、たとえば花屋とか音楽家とかにしたらもう一つの視点ができたのに。
 おもしろかったのは、五感は徐々に失われていくが、それに対し意外なほど人類が適応してみせる事だ。味覚がなくなれば見た目と食感だけで食事を楽しみ、聴覚がなくなれば文字とジェスチャーでコミュニケーションをとる。太古の昔から環境に応じて進化していったように、残された感覚を研ぎ澄まし、むろん暴動その他もあろうが、多くの人々は「いつもの生活」を再生させていくのだ。たとえ終末に向かっている事がわかっていても、理性を保ち、「いつもの生活」を送ろうとする人々は、痛々しくもあり、美しくもある。
 ところでこの感染症は五感を失うだけでなく、突如悲しみが襲ったり、怒りや憎しみを爆発させたりする。そのあとには安らぎや幸福感が訪れるわけだが、一つの感情を爆発させて安らぎを得るなんて、まるで子供のようだ。
 いや、もしかしたら匂いがわからなかったり、眼が見えなくなったりしていく過程は、人類全体が赤ん坊へと戻っていく様なのかもしれない。ラスト、視覚を失い、おそらくそのうち触覚さえも失って完全なる闇の中へ身を投じる事になるだろう。自分はたしかにここにいて、きっと愛しい相手もいる。ぼんやりとした肉体と、はっきりとした意識のみで構成されたその世界を、赤ん坊へと戻っていった人類はどう見たらいいのだろう。またここから始めようという事なのかな。少なくとも――とても安易な結論だけど――愛がなければ始まらない。
 末筆ながら、両主人公とも脱ぎっぷりがよかった事を報告しておきます。