不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

死んでたまるか、生きてやる

 タイミングを逸してしまい、いろいろな方が書いた秀逸な感想の出がらしのような内容になってしまったが、いい映画だったので一応自分の言葉で書いておく。
 『127時間』を見た。監督・脚本、ダニー・ボイル。脚本、サイモン・ボーフォイ。出演、ジェームズ・フランコ

 生命賛歌であると同時に、大自然に比べればちっぽけな人間でもイマジネーションを使えばフィジカルを超越し、過去から未来へと繋がっていけるのだという人間賛歌である。安易に大自然を崇めたり、文明を批判したり、人間を矮小化せず、世界を全身で愛す、そんな映画。
 朝が来る。陽が昇る。人々は動き出し、通勤電車に乗り込み働きに行き、夜になればスタジアムでスポーツに熱狂する。その中の一人であるアーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)も、いつものように準備を整え、母親からの電話を無視し、軽快に外へと飛び出していった。
 監督の音楽・映像センスをこれでもかとつめこんだオープニングシークエンスで一気に場を掌握し、「127hours」というタイトルが出るまでの間はさながらPVのようであった。ギリギリ下品に、また嫌味にならないラインを沿っているのが、まさに抜群のセンスと言えよう。駆け抜けて行った先で右手を挟まれ身動きできなくなるという、動から静への切り替えも見事なもの。
 右手が岩に挟まれ何をしても動かない、行き先は誰にも教えていないとってもoopsな状況、水は残すところあとわずか、極限のすえ彼が下した決断――そんな予告を見ただけで彼が何をするかは予想できるし、さらりとネタバレになるようなご本人の写真もそこらに出回っているのでその既知の終点までをどう演出するのか見るわけだが、よくぞワンシチュエーション劇をこれだけ軽やかに躍動感をもって撮影できたものだ。命綱とも言える水をあらゆる表現で描き出していて、多彩なショットの数々には脱帽した。
 演技の面でも基本的にジェームズ・フランコの一人舞台で、こちらまで楽しくさせるような屈託のない笑顔から憔悴しきった顔まで、身体の芯までアーロン・ラルストンになりきっていて申し分なし。
 時間も空間も超越して飛び回る90分間。言葉面で見れば絶望的な状況なのだが、どこか滑稽に見えるのは、アーロンの持ち前の明るさと、決して諦めないタフな姿からだろう。
 自然の脅威にさらされ、時に幻影を見るほど衰弱し、我を失いそうになった時もあったけれど、そのつど正気を保たせ希望を繋ごうとしたのは、人間が作り上げた機械(ビデオカメラ)だった。現状の確認や振り返る過去、いまの思いなどは常にビデオを通して語られ、それはカメラの先にいる自分を含めて誰かへの言葉であり、その繋がりこそが孤独と戦うための武器となった。
 あの決断の瞬間は痛いは痛いけれど意外やあっさりしていて、そんな苦痛よりも「気を失うな、気を失うな」と自らを奮い立たせるアーロンの姿に俺なんかは手に汗握ったし、現実的にはそのあとの事もあって、彼がふらふらになりながらも歩き、いま出来得ることをし、前に進みながら「help!!」と叫ぶ姿に、感動というよりは不思議な高揚感と解放感を覚えた。
 アーロンはこの旅で過去を振り返り生まれ変わったわけだが、俺はこのロクなことがなかった旅を通過してもなお彼が旅を続ける事に、グッとくるものがあった。孤独と絶望の果てを通過しても世界の全てを「愛してるッ!」と笑って叫べる青年、ナイスガイとしか言えないぜ。