不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

死をもって完結する

 嵐山光三郎『追悼の達人』(中公文庫)を読んだ。新潮文庫から出ていたのに、中公文庫で復刊。
 嵐山さんの文人ものに間違いなし。客観的資料を元に鋭く分析・評論をし、眈々とした文章で書いているのだが、その平坦な視線が逆に涙腺を刺激する。時折り入ってくる、著者自身の経験談もいいスパイス。『文人〜』シリーズでも思ったが、とにかく膨大な数の資料を読みこんで、短めにビシッと決めるところが凄い。死んだ順なので、普通の文学史(ってなんだよと言われそうだが)では見えてこないものが浮かび上がっている。個人的には坂口安吾についてもやって欲しかった。何故はずしたのだろう。
 自殺しても、病死しても、長生きしても、若死にしても、生死全てが作品となる小説家。いや、芸術家はみんなそうかもしれない。芸術の果てにある光景。その光景は自分では見る事が絶対にない。だが、間違いなく、そこにある。因果な生き方だよな。
 あとがき、文庫版あとがきは、嵐山さんなりの先人たちへの追悼であり、己の「遺書」なのだろう。少なくとも、俺はそう読んだ。そして、ちょっと涙が出そうになった。

凪やあの世も風がふきますか
(松浦嘉一 夏目漱石への追悼句)

追悼の達人 (中公文庫)

追悼の達人 (中公文庫)