不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

長い廊下の先にあるマイク

 アカデミー賞は一種のお祭りみたいなものだから、何が(誰が)賞を取るかはあまり気にしていないんだけど(「おめでとう」という気持ちはある)、「2010年に公開された」作品の中から選ばれるのであれば、時代とは縁の薄い本作よりも『ソーシャル・ネットワーク』の方が賞に適していたのでは、とは思ってしまう。まぁ友情兼トラウマ克服兼家族崩壊の物語は、王に限らずある事で、普遍性を勝ち得た事にも注目しなければならないんだけど。
 英国王のスピーチを見た。監督、トム・フーパー。出演、コリン・ファースジェフリー・ラッシュ、ヘレナ・ボナム=カーター、ガイ・ピアース

 選手とコーチの関係はこれまで何度も描かれてきて、問題を抱えた二人が、意味は違えど同じ目標を持って共闘する関係から友情が芽生え、それが力となるというのがテンプレートで出来上がっている。この映画もそれに乗っかっていて、しかしスポーツなどと違って敵対するものがなければ、最終着陸点もないので、一応のタイムリミットを設定する事で緊迫感を作り出してはいるものの、終始、丁寧に低空を飛行しているような印象を受けた。安定したおもしろみはあるが、それ以上の高さへは絶対に行かない。
 フレームの真ん中に人物を配置せず、端に置く事で不安や心象を表現する方法は、思いつく人はいるだろうが、ここまで嫌みなくできているのは見事としか言えない。的確な言葉と、的確なショットを鮮やかなカメラワークで重ね合わせ、見事に場の空気を作り出す監督の手腕には、正直脱帽するものがあった。中でも、戴冠直前の椅子のやり取りは、ジョージ6世にとってもローグにとっても、過去のしがらみ、トラウマから抜け出す瞬間で、かなりぐっとくる。全編、上品なユーモアが溢れ、ファッションや調度品など細部まで目の生き届いた美術が、十分に楽しませてくれる。俳優たちも、みな見事な演技をしていて、文句ない。
 言われているように、ライオネル・ローグの物語が中途半端で彼の立ち位置はいささか微妙だった。彼の物語=人生を少しだけ見せ、それ以上踏み込まない事でジョージ六世の物語と、友情関係を純粋なものへと昇華させたわけだが、確かに的確なショットである程度の深みは見せられるものの、逆に言えばその友情物語はあまりに「できあがりすぎ」な感もあり、もっと混濁した感情/関係を出す事でさらなる高みへと行けたはず。ならばいっそのこと、彼の物語はざっくり刈り込んで、断片のみをチラ見にしてしまえば、不穏な空気が少しだけ入ってスパイスになったのでは、と素人ながら思うのだ。これはローグだけでなく、父や兄など他の登場人物についても言えて、ずいぶん行儀がよい人ばかり。全部を描くわけにもいかないのは承知しているが、それでもそこがこの映画の唯一にして、最大の欠点だろう。
 ドイツ開戦の詔(という表現でいいのか?)を読むのがこの映画のクライマックスになり、そこで紙にアクセントや文節を赤字でいれて、ローグと必死になって喋っている英国王の姿は、なかなか胸響くものがあって、決してうまくないスピーチが逆に感動をもたらせた。
 しかし――これはもはや作品の話ではないのかもしれないが――そのスピーチを、王はどういう思いで読んだのだろうか。
 自身の吃音の克服と、戦争やむなしという自国の大義と、国民を一つにするという使命が重なり合って、彼が言葉を発したのはわかる。しかし、そこに書かれているのはジョージ6世自身の言葉ではない。内閣によってチェックが済んだ「原稿」なのである。彼は「話す」のではなく「読む」だけなのだ。彼が戦争という非常事態に、何を考え、どう思ったのかがわからない。苦悩する場面はあるにはあるが、「大変だ、吃音の私がスピーチを読むなんて」というあくまで個人的なものの方が強く見えてしまった。
 いや、それとも大義をもって戦争に突入してしまう事に、英国は何の疑義もはさまないのかもしれない。だからジョージは一点の曇りなく「原稿を読む」事に自身の感情を重ね合わせ、言霊として発する事ができたのだ。戦争の大義やらの話になれば、ややこしくなるのでここでは割愛するが、イギリスが大英帝国として存在し続けられる理由が垣間見えた気がする。
「王族なんて何もできないじゃないかッ! なのになんで私がッ!」と叫んだジョージが、苦手であるスピーチによって違った意味のシンボル(象徴)になってしまった事を、いい話と見るか皮肉ととるかの判断は難しい。ただ、王になった父を迎えて、「パパ」と言いかけたのを、わざわざお辞儀をしてから「陛下」と言い直したかわいい女の子が、あの「duty first, self second」と毅然と言い切る女王になる事を思えば、王族という血統の深さと底力を感じざるを得ないし、安易に比較するのは間違っているとわかりつつも、思わず日本の天皇・皇室の事が頭に浮かんできてしまったのだった。