不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

エレカシ作品感想「動くな、死ね、甦れ!」

「俺は音楽が武器たりえることをはじめて確信した!!」

 何はなくとも“ガストロンジャー”の事を書かねばならんだろう。
 発表当時、どう受け止められたのかはよく知らないが、後で読んだ『snoozer』に否定的とはいえ記事が書かれていたところを見ると、注目度は高かったようだ。
 嘘かまことか「ラップブームだから」という理由でマシンガンのように言葉を撃ちまくるスタイルになったそうだが、「ラップ」や「語り」というよりは、「演説」だ。宮本浩次赤尾敏かってくらいの。初めて聴いた時は音のカッコよさに惹かれつつも、笑ったもんだ。
 この曲を受け入れるか、入れないかは別れると思う。すばらしいと思うか、めちゃくちゃでゴミだと思うか。どちらも言っている事はわからんでもない。
 俺は正直、この歌は「形」しかないと思っていた。確かに荒々しい初期のような力強さはあるし、思いっきり現代の日本と己の現状を吐き出しまくるスタイルも刺激的だったけれど、肉や骨があるようには見えず、いまは気持ち良く歌うだろうが、そのうち消えていく曲だろうと思っていたのだ。
 ところがどっこい、今なお歌われているだけでなく、回数を重ねるごとに血肉をつけていき、いまや極上のロック筋肉(なんじゃそら)を身に付けた歌になっている。《化けの皮剥がしにいく》《胸を張ってさ そう》などの歌詞は、その時の鬱憤や一時の感情をぶちまけたわけではなく、ポップ路線を歩み、「売れる」事を意識してきた自分との決別宣言、そして自分の本流に帰るのだという決意表明だったわけだ。そして、その決意は今でもゆるぎないものであり、「胸を張れ!」という力強い呼びかけで、気づけば観客は拳を握り、腕を上げて叫ぶのだった。
 続くシングル曲“so many people”の《無駄死にさ やめた方がいい》や、“コール アンド レスポンス”の《死刑宣告》《全員死刑です》という歌詞は、あまりいい気分にはならなかった。そりゃそうだろう、「死刑!」と言われて喜ぶやつなんかいないはずだ。
 だけど、いまはそのままではなく、違う解釈をしている。《無駄死にさ やめた方がいい》は「死ぬな、生きていこうぜ」、《全員死刑です》は「どうせ死ぬんだから、生きている間にやりたい事やろうぜ」という事の裏返しなのだ。当時の宮本のグルグルになった心理状態では、裏返しで言うしかなかったんだろう。
 それらの曲を収めたアルバム『good morning』の話にようやくなるわけだが、これまでにないデジタル音を多用し、これまで以上に言葉を放ち、でも思いと発する言葉とは裏返しで、鬱憤をぶちまけている割にはやたらと明るいメロディで構成されている。ちぐはぐを通り越したアンビバレンツさがおもしろい。
 よほどストレスや鬱憤がたまっていたのだろう。打ち込みを使い、ソロに近い作業で、思うがままに音を鳴らすのが楽しくてしょうがない、と伝わってくるような内容。
 言ってしまえば、宮本浩次狂気大全集全一巻。たしかこの頃、雑誌にコラムを書いていたし、ドラマにも出演したと思う。宮本がとにかく持っているものを発散しまくりたかったのだろう。自分の心理状態のような《何だか知らねえけど 明日もがんばりましょう》(“I am happy”)という投げやりで前向きな歌詞が笑えていい。
 俺は『愛と夢』の感想で当時のエレカシを《立ち止まってみれば、深夜の町の中》と書いたけれど、『good morning』のカバージャケットでは、暗闇から光に向かう姿がうつされており、この一枚が悩める状態からの脱却だった事を物語っている。
 ただ、車に乗っているのが宮本浩次だけなのは、やはりバンドのファンとしては淋しかった。

 孤高にして普遍的。
 過激にして包容力あり。
 最新にして懐かしい。
 そして、最強のロックスピリッツ!
 それが、エレファントカシマシ。すなわち俺だ。

good morning

good morning