不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

突然、炎の如く


 レッドクリフ PartⅡ ―未来への最終決戦―』鑑賞。監督・製作・製作総指揮・脚本、ジョン・ウー。出演、トニー・レオン金城武、リン・チーリン、チャン・チェンヴィッキー・チャオフー・ジュン中村獅童チャン・フォンイー
 というわけで『Ⅰ』*1から約5カ月後に公開された『Ⅱ』である。前後篇共に演出も話も、余計なものが多過ぎて、カットして三時間弱の一本にした方がいいと思う。「未来への最終決戦」という、どう考えてもトチ狂っているとしか思えない副題から失笑ものだったが、映画開始直前に「世界不況だけど、未来を信じて、勇気を持って立ち上がろう」というジョン・ウーのメッセージが出てきたのには大笑い。無理やりにもほどがある。実際、見終わってからも「赤壁の戦い」と世界不況とはリンクしないし、勇気はあったが、未来ってのも付焼き刃だ。
 相変わらず、おいおいと思ってしまうような箇所が多数あるが、もうそれはそれでいいやという気になってくる。蹴鞠が『少林サッカー』なのも、スラップ奏法の琴を思えば、有りである、たぶん。俺は「三国志」を知らず先入観が一切ないので、わりとすんなり受け入れられた。とはいえ、たとえば劉備がヘタレ気味だったりと、思い入れがある人には不満があるかもしれない。
 それにしても思うのは、中国の戦いはえげつないという事。まず前提が皆殺し。陣形は、いかに敵を効率よく殺し、本陣に突っ込めるか、である。味方の被害を最小限にする中で最大限のダメージを与えるのではなく、最大限の犠牲を払って最大限のダメージを与える事に重きが置かれ、最初に突っ込む奴は必ず死ぬ、くらいの特効精神だ。
 「君子らしく戦う」と周瑜は言っていたが、互いに間者はいるわ(まぁこれはいい)、疫病で死んだ兵士を送りつけるわ、相手方のキーマンを殺すわ、同盟軍が逃げたと思わせるわ、いったい「君子らしく」とは何なのかと疑問に思うほどの権謀術数の数々。これもこれで、中国のえげつなさが出ている。
 そして、丑の時に始まる大決戦、大スペクタクル。
 炎を携え、火薬を抱えて特効精神むき出しで突っ込んでいく連合軍。夜の暗闇と、それを照らした水面を炎の広がりが猛々しく照らし、壮観な風景。雨のような矢、隕石さながらの投石、突っ込め突っ込めと突き進む軍勢。そして、関羽張飛趙雲のキメキメ大活躍。
 ジョン・ウーはこれまで情念を描いてきたわけだが、今回はそれら全てをこれでもかと戦闘シーンに詰め込んでいる。そのためか、ゴミのように死んでいく兵士たちの姿が、ゴミのようなのに胸に響くものがあった。中でも中村獅童演じる甘興の雄姿は、ありがちとは思いつつも、意外やぐっと来てしまった。尚香と新キャラ孫叔材との交流は、お決まりというかバカっぽさすら漂ってくるもので、叔材の最期もバカっぽいのだが、スローモーションで尚香の顔の横を矢が飛んでいくシーンは、ジョン・ウーならではの情念たっぷりの瞬間だったと思う。
 なんだかんだで楽しんだのだが、見た後になーんにも残らない。何を描いたのかというと、「赤壁の戦い」と、「男達の友情」「女にうつつを抜かす奴は死ね!」というジョン・ウー・ダンディズムだけ。いや、それがつまっているのなら、ちゃんと描いているわけであるが、なんだろう、この不思議なカラッポ感。変な気分になる映画だ。