不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

その日を過ぎても


 その日のまえに鑑賞。監督、大林宣彦。脚本、市川森一。出演、南原清隆永作博美筧利夫今井雅之風間杜夫勝野雅奈恵宝生舞原田夏希柴田理恵、村田雄浩、窪塚俊介。原作は重松清
 昨今流行りの、愛しい人が死ぬ涙涙の難病映画だ。そこをあの大林宣彦がどう描いたのか気になって見に行った。先に見た姉から「よかった」との声を聞いていたので、間違いはないはずだし。
 物語はベタだ。余命わずかと宣告された妻と彼女を見守る家族の話を中心に、いくつかの生と死の物語が絡み合い、展開していく。
 勝手に「死までの日常」を描いた静謐な作品を思い浮かべていたが、全然違っていた。いや、確かに静かなのだが、演出が斬新。斬新? これもちょっと違う。
 音楽がコミカルだったり、不協和音だったり、渋いチェロだったり、囁き声だったりと、なかなかつかめないのだが、その音楽以上につかめない作品だ。喜怒哀楽、悲喜こもごもとは言うが、テンションのアップダウン、感情の波の落差が激しい。激しいと言っても、ちぐはぐというわけではない。
 どう見ても合成としか思えない電車からの風景に、どんな人でも違和感を覚えるはずだ。それから、極端な天気の変化や、現実ではありえないような建物などなど、「おかしな」部分は多数ある。
 それは、もちろん意図的だ。そうすることで、過去と現在、幻想と現実、彼岸と此岸の境を、うやむやにするようで、はっきりと示している。イメージが乱発されるのが、ちょっと気になったが、だんだん入り込んでいった。
 映画は宮澤賢治の描いた「死」が物語を束ねている。「永訣の朝」から「銀河鉄道の夜」。くらむぼんはカプカプ笑い、チョロがゆっくりと響き、雪が降る。そして、いくつもの物語が、見事に昇華されていく。感心してしまった。
 ノスタルジーとセンチメンタリズムが散りばめられた作品にもかかわらず、「涙の映画」を期待する人は、キョトンとしてしまうんじゃないだろうか。俺は大林作品についてあまり知らないので、もしかしたら大林色とはこういうものなのかもしれないが、75歳の巨匠の作品とは思えないほど、挑戦的だ。それでいて貫禄がある。なんなんだ、これは。
 ナンちゃんの演技が下手くそで少しハラハラしたが、その朴訥した下手さが却って健太という人物を浮かび上がらせた。いい下手さというのは、たまにある。永作博美はもはや大女優の域。もう少ししたら、大竹しのぶの領域に入るだろう。
 内容については、まぁ言う事は何もない。一所懸命生きる事。死ぬという事。振り返ったり、前へ進んだり。泣いたり、笑ったり。忘れたり、思い出したり。そういった、当たり前の事が描かれているだけだ。少し泣いてしまった。
 とし子の手紙に記された言葉。どこまでもやさしいんだけど、あれが一番つらい言葉なんだよな。
 凄くよかったわけじゃない。でも、見てよかった。そう思える作品だった。